本日の「赤旗」1面トップ記事は、志位議長が講義をしたという報道である。テーマは「『自由に処分できる時間』と未来社会論—マルクスの探求の足跡をたどる」というものだ。

 

 全党が都知事選勝利に向けて必死になっているときに、なぜ未来社会論かという疑問が生まれている。しかもそれを1面トップに持ってくるわけだから、都知事選より重要だと志位氏が位置づけていると思われてしまう。しかし、本当に大事なことで、それが都知事選を戦う党員の励みになるなら、私は意味のあることだと思う。

 

 問題はその内容が問題をどれだけ発展させたのかということだ。報道記事には、小見出しで「『資本論』『草稿集』にそくして足跡をたどる」とあり、記事では、これらの「原典」「原文」に依拠した講義だとして以下のように語っている。

 

「志位氏は冒頭、4月の『オンラインゼミ』の講演では『初めての人にも分かりやすく』ということで、マルクスの『資本論』『資本論草稿集』などの古典について、原典ではなく“志位和夫版意訳”で紹介したが、『今日はマルクスの古典(原文)そのものにそくして話したい』と表明。」

 

 とりわけ『資本論草稿集』の意義について次のように述べている。

 

「志位氏は、講義で『資本論草稿集』についても引用・紹介する意味について、「『草稿集』は『資本論』以上に難しい面もありますが、『資本論』第3部で明らかにされている未来社会論を理解するためには『草稿集』での解明が不可欠だと思います」と強調。「『草稿集』での解明を頭に入れたうえで『資本論』の未来社会論を読むと、その意味がはるかに豊かに、かつ分かりやすくつかむことができるというのが実感です」と語りました。」

 

 これを読んで最初に思ったのは、そうか、志位氏は『資本論』『草稿集』の「意訳」ができるほどドイツ語を勉強したのだということだった。あの忙しい党首としての活動のなかで、それこそどうやってドイツ語習得のための「自由な時間」を生みだしたのだろう、その秘訣を語ったほうが意味があるのではないかということでもあった。

 

 今回は「意訳」ではなく、「古典(原文)にそのものにそしくて」話したとされる。それにしても、不破哲三氏は『資本論』の大月書店訳が気に入らず、新日本新書から独自の翻訳版を出したが、それでも自分の考え方と合わないからといって、不破編集版みたいなものまで刊行した。

 

 だから、志位氏が『草稿集』に依拠する場合も、大月書店訳では気に入らないだろうから、「意訳」というより「正式訳」をしているのではないかと思った。不破氏が頼ったようなドイツ語専門家は国際部にもいるのだから。それで、志位氏が聴講生に配布した資料に掲載されている『草稿集』の引用が、大月書店訳とどう変わっているのかを確かめるため、該当箇所を引っ張り出してみたのだ(画像)。

 

 

 大月書店訳とまったく同じだった。一箇所、大月訳では「個個」となっているところが、志位訳では「個々」となっているだけ。あと、長い文章を読みやすくするため、「1、2、3」とかをつけているだけだった。

 

 新メガ(MEGA)が刊行され、マルクスの書いたすべての文書のドイツ語原文が誰でも読めるようになって、意欲的な研究が続々と生まれている。その時に、私さえ持っている40年以上前の大月訳に頼っていては、党の未来社会論の新たな発展は難しいのではないか。

 

 志位氏には、是非、ドイツ語原文に依拠した「未来社会論」を期待したい。