令和6年(ワ)第5849号 地位確認等請求事件

原告 松竹 伸幸

被告 日本共産党

意見陳述要旨

 

2024(令和6)年6月20日

 

東京地方裁判所民事第37部甲合議E係 御中

 

 

原告訴訟代理人 弁護士  平  裕 介

 

 

1 原告の松竹伸幸さんは、この訴訟で、昭和の時代に下された日本共産党袴田事件最高裁判決の判例変更をしてほしい、と訴えています。

被告日本共産党は、政党の内部的自律権や結社の自由を強調し、判例変更はされるべきではないと反論しました。ですが、松竹さんも、政党の自律権や結社の自由を否定するものではありません。むしろ、一定程度は自律権を尊重すべきだと主張しています。

 しかし、政党のような結社における自律権や内部統制権も、決して無制限に認められるものではありません。例えば、政党の執行部や指導部が、犯罪に該当するような行動を党員に指示することはできません。セクハラやパワハラなどをあえて放置し容認する行動をとるよう指示することもできないでしょう。このように、自律権や結社の自由を大義名分にして、無制限・無条件に、党員の意思や行動を拘束することは許されないと考えるのが社会常識に適合しますし、法的にもそのように考える必要があります。

 

2 では、政党の自律権や統制権の限界はどこまでなのでしょうか。その限界をどのように判断すればよいのでしょうか。この問題については、政党がどのような性格の団体なのかを考える必要があります。

 政党は、純粋な私的団体ではありません。公的な側面があります。日本国憲法は、政党についての明文規定を設けていませんが、八幡製鉄事件大法廷判決がいうように「憲法は、政党の存在を当然に予定」しており、政党は「議会制民主主義を支える不可欠の要素」です。そして、政党は、政党助成法による助成を受ける資格を得られる団体であり、公職選挙法上も候補者本人とは別に届出政党としての選挙運動ができたり届出政党だけが政見放送を利用できたりするなど、政党は法制度上、市民の血税を原資として優遇されています。

 このように、政党は、民主主義を支える公的な面のある団体です。ですから、政党の組織や運営が民主主義の原理に則ったものでなければならないことは、憲法上の要請だというべきです。また、個人の基本的人権を侵したり、適正手続を無視するような党規約やその運用は、個人主義を前提とする現代の民主主義の思想と矛盾します。そのため、政党は、党員の基本的人権を侵したり、適正手続原理に反するなど民主主義社会の原理を没却するような指示はできないというべきです。これが政党の自律権・統制権の限界なのです。

 

3 被告が問題視し、除名の理由にした松竹さんの行為は、規約改正をして党首を直接選挙で民主的に選ぶという見解を出版物で述べることです。ですが、これは組織内民主主義のあり方に関する意見です。松竹さんにとって、自らの見解を組織の構成員全体に知らせるためには、出版以外の方法を選択することは事実上不可能でした。にもかかわらず、このような出版・言論・表現の自由まで、政党の統制権をもって禁止することは、民主主義の思想と矛盾します。

 また、除名手続もおよそ「手続」とは呼べない杜撰なものでした。前例のない中で実施された党大会での除名の再審査は、大会参加者の決をとることもなく、大会参加者に松竹さんの意見が聞かれることもなく、除名が決まったという報告がなされただけのものでした。松竹さんは党大会に参加すらできず、党大会が終わった後しばらくしてから紙切れ一枚の郵便物が届くという方法で再審査が却下されてしまいました。このように、除名という党の重要人事について、処分者や一般党員の意見が聞かれることなく、党の意思決定が不透明・非公開・不公正の手続のもとで行われることも民主主義の思想に反するものです。

 

4 このように松竹さんの除名は、実体面でも手続面でも、政党の自律権・統制権の限界を超えており、大きな問題があります。

 しかしながら、現在の共産党袴田事件判決のルール・判断枠組みに従えば、裁判所がそもそも何一つ、実体判断をしない危険があります。そして、このような判断回避を期待してか、被告日本共産党も、答弁書において、実体面・手続面について、全く反論していませんし、具体的な答弁をあえて書くことなく、避けています。裁判所が実体判断を避ければ、過去に公党が再審査を行ったのかどうかすら全く判らないままに、門前払いとなるリスクがあります。これでは、党員であった松竹さんの出版の自由や言論・表現の自由だけではなく、裁判を受ける権利もが実質的に奪われることになってしまいますし、司法権も個人の人権を守るという重要な役割を果たすことができません。

 

5 令和の時代において、このような個人の裁判を受ける権利を無視した判断が許されるでしょうか。袴田事件の判断枠組みのままでは、松竹さんの除名処分の場合のように、政党の意思決定が民主主義の理念に反する内容であっても良い、あるいはブラックボックスの手続きであっても良い、ということになってしまいます。ぜひこの訴訟で、昭和の共産党袴田事件の判例変更をしてください。

以上