〈昨日のメルマガで配信したものですが、裁判の第1回期日に関連する資料は、公式HPでの公開を昨日から順次開始しています。それにあわせてブログでも読者にお知らせします。本日は私の意見陳述です。〉

 

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令和6年(ワ)第5849号 地位確認等請求事件

原告 松竹 伸幸

被告 日本共産党

意見陳述要旨

 

2024(令和6)年6月20日

 

東京地方裁判所民事第37部甲合議E係 御中

 

松竹 伸幸

 

 意見陳述の機会を与えていただき、心から感謝します。

 

1 綱領と規約を一言も批判していない事実を裁判所に認定してほしい

 

 昨年二月、共産党から除名されたことは、私の人生を激しく揺さぶるものでした。除名されることが、その人の人生を左右するほどの重みを持つのは、共産党ならではだと思います。共産党に入ることは、自分の一生をかけた決断である点で、他の政党に入るのとはかなり異なるものだからです。

 

 政治の世界で共産党と協力すること自体が批判的に論じられがちな現状を見れば分かるように、共産党が理想とする社会のあり方や基本政策は、他の党のものとはかなり違っています。ですから、共産党員はまわりの人からはアウトローと見なされやすいし、党員であることが知られれば、立身出世の道が断たれることもあります。私の場合も、両親を貧しさから解放したいと考え、将来は商社か銀行に入りやすいことを基準に大学を選びましたが、共産党に入った時点で、その夢は捨てました。

 

 それでもなぜ共産党を選ぶのか。それは、共産党が綱領で掲げている目標や政策が、永久不変のように見える社会を変える力があるのではないかと考えるからです。自分の人生をかけてその道を進むことが、自分にとってもかけがえのない喜びだと思えるからです。

 

 そうやって半世紀近く、党員としての人生を歩んできました。党の会議には必ず出席し、毎月の党費と機関紙「赤旗」の代金は欠かすことなく納め、選挙では有権者に党への支持を訴えるなど、党の前進のために微力ながら尽くしてきたつもりです。その人生の歩みが、昨年、『シン・日本共産党宣言』を出版したことを理由にして、わずか二週間で断たれてしまったのです。

 

 その驚き、悔しさ、哀しみ、怒りは共産党員でなければ理解できないことでしょう。けれども、裁判官のみなさんにも心にとめて頂ければありがたいと思います。

 

 私が除名された理由は、『シン・日本共産党宣言』で、党の綱領と規約に違反したからだとされています。しかし私は、綱領と規約を支持しています。いくら憲法で出版の自由が認められているとしても、綱領と規約を外部から批判し、綱領に反する政治目標をもつ分派を形成しようとするなら、結社の自由を脅かすものであり、処分に値するとも思ってきました。

 

 ですから私は、問題になった『シン・日本共産党宣言』のなかで、綱領と規約を一言一句も批判していません。証拠として提出していますので、裁判所には、まずその点を事実として認定していただきたいと思います。

 

2 結社の自由と出版の自由どう両立させるべきか

 

 被告の答弁書は、私が党の綱領と規約に関してとっている立場について、名誉毀損の文脈では論じていますが、地位確認のための議論には不要だと考えているようです。綱領・規約に関して何らかの判断をできるのは、個々の党員ではなく、ただただ共産党の側だけであり、ましてや裁判所が審査する権限を有しているはずがない。そういう考え方に立っているのでしょう。

 

 もちろん私にしても、共産党の綱領・規約の解釈が党内部で対立する場合、裁判所が一から十まで介入できないことは理解できます。裁判所が政党の路線、政策を変える権限を持つようになれば、結社の自由は脅かされてしまいます。私はそんなことは望みません。

 

 とはいえ、裁判所の審査権が及ぶ場合もあるのではないでしょうか。例えば、極端な例になりますが、どの政党であるにせよ、パワハラを正当化することをはじめ、犯罪に類することを党が決定した場合はどうでしょうか。あるいは現時点でどこかの党が暴力革命路線の綱領を決定した場合はどうでしょうか。

 

 党員がそんな決定や路線をよしとしない場合、党から離れるのも1つの選択肢です。けれども、党を愛するが故に、犯罪の決定や暴力革命路線を覆し、もとの党に戻そうと考える党員もいるはずです。そういう党員が、決定に従わない立場に立ち、党員のままで本を出版する権利はないのでしょうか。除名されても、市民社会の法秩序とは関係がないので、裁判所の審査権は及ばないのでしょうか。

 

 袴田事件の最高裁判決は、結社の自由から来る党員の権利について、「一定の制約」があるとしています。「一定」であって、無制限だと述べていないことに注目してください。さらに、答弁書にあるように、政党の役割は議会制民主主義を支えることにあることにも注目してください。

 

 議会制民主主義を葬り去るような党の決定を批判する権利は、どんな党員であれ有しているはずです。その種の決定が実行に移されれば、市民社会の法秩序を揺るがすことになるのは明白です。そんな党員の除名まで正当化することは、政党だからこそやってはいけないことなのです。

 

 いま極端な例を挙げましたが、結局、裁判所の審査権が及ぶかどうかは、党員が従うべきとされる「決定」の範囲、内容次第だと思います。党員はどんなものであれ党の決定を出版物で批判できないし、党はそんな出版をした党員を自由に処分できるというのであれば、憲法の出版の自由は深刻に脅かされます。結社の自由と出版の自由は対立することになってしまいます。

 

 ましてや私は、綱領や規約が間違っていると批判したのではありません。共産党にとってもっとも大事な決定である綱領と規約を守ることを明確にして著作を刊行したのです。結社の自由と出版の自由を両立させようと思えば、綱領と規約を批判せず、遵守することを明確にした出版は許されるべきだし、裁判所の審査権も及ぶのでなければならないと考えます。そういう場合、裁判所の審査の結果がどういうものであれ、政党にとっていちばん大切な綱領と規約を変えることにはならないのですから、結社の自由を脅かすことにはならないはずです。

 

3 安保条約・自衛隊問題での私の見地は志位氏の見地を受け継いだもの

 

 被告の答弁書は、名誉毀損の文脈で私の安保・自衛隊論を論じていますが、私が綱領と規約を尊重していることを明らかにする見地で、簡単に弁明をしておきます。

 

 共産党は24年前の党大会で、日米安保条約と自衛隊の問題では3段階のアプローチをとることを決定しました。大会決定をそのまま引用して読み上げれば、

「第1段階は、日米安保条約廃棄前の段階である」

「第2段階は、日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階である」

「第3段階は、……自衛隊解消にとりくむ段階である」

 

 つまり現在の段階は、共産党にとって「日米安保条約廃棄前の段階」にあります。これが大会での決定に止まらず、綱領の立場でもあることは、昨年共産党が刊行した『日本共産党の百年』に明記されています。

 

 共産党はそれまでずっと、安保条約の即時廃棄と自衛隊の解散を主張してきました。ですから、安保条約廃棄前の第1段階で安保と自衛隊に対してどんな立場をとるべきかはきわめて難しい問題であり、いろいろな模索をしてきました。

 

 志位和夫氏は2015年10月5日に行われた外国特派員協会の会見で、安保条約についてこう述べています。

「日米安保条約では、第5条で、日本に対する武力攻撃が発生した場合には(日米が)共同対処をするということが述べられています。日本有事のさいには、連合政府としては、この条約にもとづいて対応することになります。」

 

 答弁書では私が「日米安保条約の堅持」を主張したと批判していますが、私は、志位氏がこう発言するまで、安保条約を肯定的に扱ったことは一度もありませんでした。安保条約の発動という志位発言にはびっくりしたのが本音です。

 

 志位氏の模索は自衛隊違憲論の変更にまで及びます。二〇一七年一〇月八日、総選挙を前にした党首討論の場で、志位氏はこう語りました。

「私たちが参画する政権が仮にできた場合の対応ですが、その政府としての憲法解釈は、……合憲という解釈を引き継ぐことになります。」

 

 この発言は、野党の連合政府に入る場合を想定したものでしたが、志位氏の模索はさらに共産党主導の政権ができた場合にも及んでいきます。2022年4月に刊行された志位氏の著作ではこう書かれています。

「民主連合政府ができたとしても、自衛隊が存在している過渡的な時期は、『自衛隊=合憲』論をとることになります。」

 

 これでお分かりでしょう。答弁書は私の安保堅持、自衛隊合憲論を批判していますが、同じような議論はまず志位氏が行ったということです。私は党の決定や党幹部の発言を大切にする1人の党員として、志位氏の模索を大事なものだと考え、それを受け継いだということです。

 

 もし私を除名するのなら、まず志位氏を除名して範を垂れた上で私に通告すべきでした。それなのに、志位氏は党首として讃えられ、私だけが最も重たい除名処分を科されるのでは、あまりに不均衡であり社会常識から逸脱しています。

 

 なぜそんなことになるかと言えば、共産党の規約は、明文は立派なもので私も支持していますが、私が何を抗弁しても解釈権は党中央にしかなく、恣意的な運用がされているからです。例えば、分派活動で除名すると言いながら、何が分派に当たるのかの定義が示されたこともありません。袴田事件の最高裁判決は、「政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反する」場合のことに言及していますが、まさに「公序良俗に反する」運営によって私は除名されたのです。

 

 こうした見地から、裁判所には、党員としての私の地位を確認して頂くことをお願いし、意見陳述を終わります。ありがとうございました。

以上