今朝のNHKニュースで長谷部誠にインタビューが放映されていた。言わずと知れたドイツのサッカーチームで活躍し、日本代表の主将を長く務め、最近、引退を発表した選手である。

 

 印象に残った言葉があった。ドイツのチームで監督が替わると、あまり特徴のない(足が速いわけでもないし、得点がたくさんとれるわけでもない)自分は、しばらく使われなくなる。そんなとき、どういう努力をして再び先発出場するようにできたのかと問われ、それに対する答えである。

 

 他人の考え方を変えることは難しい。でも、自分を変えることはできる。自分を変えることによって周りに影響を与えることは可能で、そうやって認められてきた。そんな答えであった。

 

 インタビューのあとでアナウンサーが、「哲学的な話が聞けましたね」と感想を述べていた。私もそう思った。哲学の話だから、サッカーとかスポーツだけに限定されるわけではない。

 

 すぐに思い出したのは、共産党の田村智子新委員長のことだった。どこだったかの演説で、委員長になってメディアから「共産党は変われますか」と聞かれるのだが、それに対して「共産党が変えるのは自民党政治です」と答えているのだと述べていたことだ。

 

 長谷部誠の哲学では、自分が変わることと他人が変わることは一体不可分である。他人を変えるためにも自分が変わらなければならない。

 

 しかし田村流の哲学では、両者は明確に区別されている。自民党政治を変えるために共産党にも改革が必要ではないかというのは、問いそのものが田村氏には存在してはならないことだ。あるいは共産党が変わらなくても自民党政治を変えられるということか。

 

 さて、どちらの哲学が世の人々を惹きつけることになるのだろうか。