11大会での「上申書」が再審査ではないと考えるのは、もう1つの理由がある。山下報告によれば、私の再審査のやり方(大会幹部団だけで決めるやり方)は「これまでの対応を踏襲した」ものだというが、それなら11大会での「上申書」の処理のやり方は、29大会の再審査の処理のやり方と同じでなければならない。しかし、すでに紹介したように11大会は、「大会幹部団の委託で塚田大願代議員が上申書の処理について報告し、確認した」とされる。29大会では、「委託」などはされずに幹部団が決めたし、代議員ではなく大会幹部団の一員である山下副委員長が大会に報告したし、まったく別のやり方なのだ。つまり、「上申書」が再審査のことであったと仮定しても、「(29大会では)これまでの対応を踏襲した」という山下報告は、明らかな虚偽だということになるのだ。

 

 ということで、党中央がちゃんと党規約を守っているというなら、堂々と5回の事例を公開すべきだろう。それを私がこのブログで書いても、ただ無視されるだけだろうから、党規約を大切にしたいと考えている党員は(とりわけ私を規約違反だと舌鋒鋭く批判した中祖氏は)、党中央に電話なり、メールするなりして、あるいは直接組織局を訪ねたり山下氏に問いただすなどして、こぞって公開を求めるべきではないだろうか。以下に掲げる大会幹部団が近くにいるなら、直接聞くのでもいいけれど。

 

志位和夫、小池晃、山下芳生、市田忠義、緒方靖夫、倉林明子、田村智子、浜野忠夫、紙智子、吉良佳子、穀田恵二、高橋千鶴子、広井暢子、不破哲三、山添拓、赤嶺政賢、内田裕、小倉忠平、田邊良彦、山村糸子、渡辺和俊

 

 それにしても、党中央はなぜ、そんな手の込んだウソをつくのだろうか。ここからは推測の話になる。

 

 おそらく山下氏をはじめ党中央は、私の再審査請求書を大会代議員に見せたくなかった。そこはまず前提として指導部内で共有していたのだろう。でもそうしようとすると、代議員に配布しない理由の説明が必要になる。そこで、この問題の担当者が出て来る。どんな組織にも謀略と統制力で出世してきた人間がいるものだが、「これまでの対応を踏襲したことにしよう」「過去に5回もあったんだよ」と説明して提案した。それは虚偽だったが、まさか自分のまわりにウソをつく幹部がいると思わない山下氏は、それを信じ込んだ。そして大会では口頭で報告し、ただちに拍手で承認が求めるという運営方法をとったので、代議員には過去の党大会の議事録を見返すような時間はなく、提案した人間の思惑通り乗り切ったのだ。しかし、そういう対応をとったが故に、「これまでの対応」の具体的な事例についての疑問が出てきて、県委員長などにも5回説が伝わってくる。そしてみんなが信じ込まされた5回説を各地で振りまく。党組織局は現場の疑問に答えなければならないので、「大会日誌」を見るのだが、そんな記述はない。そこでようやく自分たちが虚偽を重ねたことを自覚するのだ。けれどもこの時点ではもう引き返せない。みんなで一緒にウソをつき通すしかない。どうしようかと悩んで、「上申書」に目をつけた。これを再審査だと言い張ればいいのだと。誰もそんな何十年も前のことを覚えていないし、もはや党内には、そこを掘り返そうとするような気骨のある党員もいない。やれやれ。

 

 こんな感じではなかろうか。

 

 いまの党内ではこれで通用するのだろう。再審査に疑問をもつ党員がいても、2中総秘密報告にあるように、「元党員による一連のかく乱活動」だと言っておけば、7割程度はそれを信用する。残り3割のなかに党内で堂々と疑問を呈する人がいたら、党大会でやったような見せしめ的な恫喝を加えればいいし、党外に持ち出す人がいたら発信者を特定して処分すればいいだけのことだ。多数は逆らわないので、指導部は安泰である。

 

 でも問題は、裁判でもそんな党内的なやり方が通用するかどうかだ。「これまでの対応を踏襲した」とウソをついて乗り切ったというなら、再審査の正統性はひとかけらも存在しなかったことになり、裁判では大問題になるだろう。

 

 党の側は、再審査を求めた党員のプライバシーを理由にするなどして、裁判所に提出することを拒否するかもしれない。まあ、それならそれで、実質的に敗北を認めるようなものだが、本格的に誤りを認めさせるため、過去、大会代議員として参加した人を証人として呼ぶことにしよう。念のため、20世紀中に開かれた過去のほとんどの大会に出席した実績のある人に、再審査がやられたことがあるかを聞いたのだが、そんな記憶はないと言っておられた。裁判の結果はあきらかだろう。(続)