タイトルは「地震国日本に原発はいらない」。非の打ち所のない「主張」である。

 

「ひとたび重大事故が起これば地域社会が崩壊する。そんな「異質の危険」をもつ原発は、日本社会とは共存できません。」「地震と原発事故が重なれば「避難計画」など「絵に描いた餅」であることは明らかです。地震・津波国日本の原発は、あまりにも危険です。」「世論と運動で自民党政治を終わらせ、脱炭素・原発ゼロへの扉をひらきましょう。」──いずれも国民多数の気持に合致していると思う。

 

 問題は、このような主張だけをしていると、共産党の将来的な核エネルギー政策との間で齟齬が生まれることである。共産党が「原発ゼロ」を打ち出した3.11の直後、「毎日新聞」で志位氏と社民党の福島瑞穂氏のこんなやりとりが掲載された(2011.8.25付)。

 

「福島 しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党は、核と人類は共存できない、いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。

 志位 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研究までは否定しない。将来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。その可能性までふさいでしまうのはいかがかとの考えなんです。

 福島 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?

 志位 そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、『安全な原発などありえない』と言っています。いま問われているのは、原発ゼロの日本にしようということでしょ。

 福島 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおかしいです。

 志位 そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています。」

 

 これは不破哲三氏の一貫した考え方を受け継いだものである。不破氏は、5年ほど前に出した『「資本論」のなかの未来社会論』において、「原発ゼロ」という党の政策は日本が資本主義に止まっている段階での考え方であって、社会主義(未来社会)の段階では、「安全が保障され新たな方法で人類が核エネルギーを利用することができる時代」になると書いている。

 

 共産党の政策は複合的というか、全面的なところに特徴がある。この原発問題もそうだが、安保自衛隊についても、中長期的にはなくしていくが、短期的には容認する場合がある。そもそも資本主義を乗り越える社会主義政党なのに、現段階では資本主義の枠内で政策を打ち出すところからしてそうだ。

 

 その点を考えず、特定の段階のものだけを党の政策(基本政策)であるかのように描いてしまっては、別の政策が顔を出したとき、党員であれ読者であれ戸惑ってしまう。簡単なことではないが、少なくとも党の政策を考える人とか、「赤旗」で解説する人とかは、自分の書いていることが党の全体的な政策と矛盾しないかを念頭においていなければならないと思う。