〈YouTubeのショート動画をアップしています。仕事でつくっている九条の本のことです。〉

 

 山下報告の最後で、手続上の瑕疵として私が指摘している問題に反論しているので、その問題について述べておこう。関連部分の報告全文は以下の通り。

 

「また松竹氏は、処分の過『手続き上の瑕疵(かし)がある』とのべている。しかし、党規約第55条にもとづいて松竹氏に十分に意見表明の機会をあたえるとともに、党規約第5条の『自分にたいして処分の決定がなされる場合には、その会議に出席し、意見をのべることができ』については、処分を決定する会議の日程を松竹氏に伝えたうえに、松竹氏からも繰り返し日程確認の問い合わせがあったが、松竹氏は、会議に出席し、意見をのべる権利を行使しなかった。したがって、処分は党規約にもとづいて適正な手続きで行われており、何ら瑕疵はない。」

 

 この部分も私が再審査請求書で書いている内容を意図的に伝えていない。私が主張しているのは、「党員に対する処分を審査し、決定するときは、特別の場合をのぞいて、所属組織は処分を受ける党員に十分意見表明の機会をあたえる」(規約第55条)るとされているのに、そのことが私に伝えられなかったことである。処分するための会議が2月5日に開かれることは伝えられたが、その場所は教えてくれなかったし、ましてや私が会議に出席し、意見を述べる権利があることは、まったく伝えられなかった。いま引用した規約で「所属組織は……機会をあたえる」と明記されているように、これは機関の側が処分される党員に「機会をあたえる」と伝えるものなのに、私には与えられなかったのだ。

 

 山下報告で「松竹氏からも繰り返し日程確認の問い合わせがあった」とされているのは事実である。何回も問い合わせしたのは、翌日に日本記者クラブの会見が予定されており、『シン・日本共産党宣言』の内容を説明する予定で準備していたが、除名されるなら中身を大幅に変えなければならない必要があったからで、それ以上のものではない。それに、くり返し私が日程を確認しているのだから、地区委員会には私に権利があることを伝える機会は何回もあったのに、まったく伝えられなかったということなのである。

 

 この権利の存在は、処分される党員に対して、機関が伝えるべきものである。だって、機関と異なってヒラの党員は、そういう権利があることは知らない場合もあるからだ。

 

 実際、私に続いて除名された鈴木元氏の場合、京都府委員会は、規約上の手続を尽くしている。府委員会発行の「情勢と論戦698号」(2023年10月21日)では、次のようになっている。

 

「鈴木氏に対する『調査・聞き取り』は3月9日に約55分間おこなわれました。また、処分を決めるにあたって、3月15日の府常任委員会の『審査』では、党規約第55条『党員に対する処分を審査し、決定するときは、特別の場合をのぞいて、所属組織は処分を受ける党員に十分意見表明の機会をあたえる』にもとづいて、鈴木氏出席のもと、約47分間のやりとりがありました。」

 

 この文書で「調査・聞き取り」とされているのは、私が2月2日に受けたのと同じものである。その「調査・聞き取り」を踏まえ、後日、私の場合は南地区常任委員会が処分を決めたのであるが、その会議が「審査」とされているものだ。鈴木氏の場合、私と異なり、ちゃんと出席し意見を表明している。

 

 これは鈴木氏が「権利があるから出席させろ」と求めたものではない。鈴木氏が『さようなら志位和夫殿』に書いているように、「常任委員会で処分を決め言い渡すので弁明の機会を与える」と伝えられたものなのである(52頁)。

 

 鈴木氏には伝えたのに、私には伝えられなかった。なぜそんなことになったのか、山下報告は口をつぐんでいる。

 

 共産党で埼玉県委員長を長く務め、私の除名時に党の幹部会委員だった増子典男氏は、ツイッター上で私が出席を求められなかったことについて見解を問われ、添付画像のように、「私も何回も経験していますが、出席を求めなかったことは一回もありません」と明言している。京都でも埼玉でも処分する人には「出席を求め」たのに、私には求めなかったのである。おかしいではないか。

 

 

 出席を求めなかったか求めたかというのは、単純な事実である。その事実について何の回答もしないまま、山下報告は「松竹氏は、会議に出席し、意見をのべる権利を行使しなかった」と、私の問題にすり替えているのである。ここには、党員を除名するという重大な行為をしたことについて、ひとかけらの誠意も見えない。現在の共産党を象徴しているのだろうか。

 

 明日が最後。党大会で南地区委員長も発言しているが、事実が完全に歪められていので、その問題である。そこまでするのかという感じだ。(続)