先月の党大会における代議員の「松竹除名」問題発言と党の対応をめぐって、パワハラ論争が展開されている。議論される度に私の名前も出て来るので、私自身の考え方も書いておいたほうがいいだろう。

 

 この問題をめぐっては、パワハラを受けたと主張する人が多数存在する一方、共産党の側はパワハラではないと主張する場合が多いことが特徴である。なぜそうなるかを考えることが、この問題を少しでも前向きに解決するカギになるのではないかと思っている。

 

 パワハラかどうかの判断基準については、有名な厚生労働省の3基準が存在する。①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすもの、というものである。

 

 共産党内のパワハラは、このうち①と③の要件を満たしていることは、党の側も抗弁できないだろう。まず当事者がパワハラを訴えること自体、党活動の環境が害されるから訴えるのであり、まさに③に値するわけである。

 

 ①についても、規約上、上下関係という言葉はなるべく使わないようにしたといっても、その種の関係がなくなっているわけではない。規約にも「指導機関」という言葉が出て来るが、ここには指導する機関と、指導される党員という関係の存在が実態として存在している事実があらわれている。「党組織には、上級の党機関の決定を実行する責任がある」(第16条)という規定も、実際には上下関係が存在することを明示したものである。

 

 問題になっている愛知の県党の文書で、発出者が「常任委員会」となっているのを「常任幹部会」と読み間違えて、中央委員会の文書だと勘違いした人もいたようだ。しかし、「幹部」の名称が使えるのは中央委員会だけであるのも現実である。

 

 従って、党内の「優越的な関係を背景とした言動」として、党員が党活動の「環境が害され」たと訴えるなら、パワハラのかなりの要件は満たしていることになるのだ。問題は②である。

 

 上級からなされる指導が、「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」かどうか。もし、パワハラの被害者が裁判に訴えるようなことになれば、最大の争点はここになると思われる。そして党の側は、党の見解と違うことを述べる党員に対して、その見解の間違いを正しているだけであって、「業務上必要かつ相当な範囲」内のものだと主張することになるのであろう。

 

 ここにこそ、共産党内でパワハラが必然的に起きてしまい、パワハラが起きても解決できない構造的な要因が存在するのだと言える。ニュースでやっていた宝塚の事件で、誰だったか忘れたが、「指導とパワハラの違いが明確でない」と述べたことが印象的だった。共産党内のパワハラも、受けた側はパワハラだと思っているけれども、機関の側は規約にもとづいて指導しているだけであって、何が問題になるのかさっぱり分からないという現実がある。だから多発するし、解決できないわけだ。内部で起きているからということで、規約上の「内部問題」とされ、外に出すことが規約違反とみなされるというおまけまでついているから、余計に被害者は問題にしづらくなる。

 

 けれども、もし機関の側が党員の間違いを正すことを規約上の指導としてすべて正当化するなら、それは現行規約の逸脱である。なぜなら、現行規約は、「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」(第3条1号)として、少数意見の存在を認めているからである。そして、多数決で決まったとしても、「決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる」(第5条5号)としているからである。

 

 意見を保留しているが党の決定を実行している党員に対して、お前の保留している意見は間違いだとして、その意見を変更させるように指導することができるなどということは、規約のどこにも書かれていない。そんなことができるとすれば、少数意見の保留という規約の根幹を脅かすことになる。原則は、意見を保留する党員がいれば、その党員の態度を尊重するということでなければならない。

 

 だから、「松竹除名」問題で意見を留保している党員に対して、執ような批判を展開することは、規約に反するのだということを、是非、党機関の側は自覚してほしい。たまには規約を読めよと言いたい。