山下報告の日米安保条約と綱領問題について言えば、語るに落ちたというのはこのことだろうというしかない。報告は、私の立場をこう批判する。

 

「松竹氏は、『再審査請求書』のなかでも、日米安保条約について、安保廃棄を、当面の基本政策にしている限り、野党連合政権の障害になるとして、安保容認を『基本政策』にすえるべきとの主張を繰り返している。これが綱領に反する主張であることは明瞭である。

 さらに松竹氏は、『再審査請求書』のなかで、自分の主張を合理化するために、わが党綱領が日米安保条約の段階的解消論に立っていると主張している。しかし、綱領のどこにも日米安保条約を段階的に解消するとの立場はない。わが党は、異常な対米従属を打破していくために、安保法制廃止・立憲主義回復など緊急の諸課題の実現のために安保条約の是非を超えた共同の努力を行うことを重視しているが、それは、安保条約の段階的解消論──安保条約解消のためにはいくつかの中間的段階が必要だという立場では決してない。松竹氏の主張は、綱領をまったく理解していないものというほかない。」

 

 まず私が「基本政策」にすえるべきだと主張しているのは、他でもない「核抑止抜きの専守防衛」である。それを基本政策にするためには、安保条約と自衛隊の維持は前提になると述べているのであるが、それは措いておこう。

 

 綱領は安保条約の段階的解消という立場に立っていないのか。それを判断するためには、昨年、志位氏が大絶賛して発行された『日本共産党の百年』の以下の記述を見るだけで十分であろう。

 

「第20回大会(94年)では未解明の課題として残されていた憲法9条の完全実施にむかう道筋──自衛隊の段階的解消をめざす党の立場を明確にし、『日米安保条約廃棄前の段階』『日米安保条約が廃棄され日本が日米軍事同盟から抜け出した段階』『国民の合意で、自衛隊の段階的解消にとりくむ段階』という3つの段階で、憲法違反の自衛隊の現実を改革していく立場をあらたにしめしました。また、自衛隊が一定期間存在する過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など必要に迫られた場合には、自衛隊を国民の安全のために活用することを明らかにしました。……大会決議の内容は、2004年の綱領改定によって党綱領に明記されました。」

 

 要約する必要もないだろう。2000年の大会決議は、第一段階は「日米安保条約廃棄前の段階」としたのである。「段階」という言葉を使って、安保廃棄前の段階を置いたのである。そして、この「大会決議の内容は、2004年の綱領改定によって党綱領に明記され」たのである。

 

 その上で、志位氏は、こう述べたのだ(『新・綱領教室』)。

 

「『仮に日本有事が起こったさいには、安保条約の発動を求めますか』という質問が出されました。私は、『その時には、安保条約第5条で対応します』と答えました。安保条約第5条には、『日本に対する武力攻撃があった場合には、共同で対処する』とあります。これが現行の条約にあるわけですから、理論上の問題ですけれども、『これまでの条約と法律の範囲で対応する』──条約第5条にそくして行動することになると答えました。」

 

 私が解説を加えるまでもない。山下報告が安保廃棄で段階論をとらないというなら、綱領を改定すべきだろう。(続)