山下報告の次の論点に移ろう。自衛隊と安保条約をめぐる問題である。

 

 この問題では「三つの非」が際立っている。非常識・非論理・非事実に満ちた報告だと言える。

 

 私は、除名の理由とされた『シン・日本共産党宣言』については、2000年の新規約、2004年の新綱領の規定を踏まえて書き上げた。それに対する「除名処分決定書」の内容も、その後に出された「赤旗」の私に対する論文も、すべてが1958年の旧規約、1961年の旧綱領の見地での批判でしかなかった。新綱領の策定を主導した不破氏が「スターリン的な中世の影が残っている」として廃止した旧綱領にしがみついているのだから、率直に言って、幹部を名乗る人たちは果たして新しい綱領と規約の意味を理解しているのだろうかと、嘆かわしく思ったほどである。

 

 それならば、なぜ旧綱領・規約を廃止せざるを得なかったのか、旧綱領からの数十年で世界の何がどう変わったのか、それが新綱領にどう反映されたのか、これらの点を幹部のみなさんにも理解してもらおうとして書いたのが、私の再審査請求書であった。合計で20万字にも及んでいる。

 

 ところが、山下報告には、それらに対する言及が何もない。現在、私の除名の正当性を訴えるため、党本部の役員・勤務員などが支部に説明している内容を聴いてみると、綱領・規約は変わったが、表現を変えただけで中身は変えていないなどと、驚くべきことを言っているようである。山下報告もその域を出るものではない。山下報告が取り上げていない再審査請求の論点まで書き出すと、請求書の全体を紹介することになってしまうので、ここでは山下報告の論点にしぼって論じておきたい。

 

 まず自衛隊問題だが、山下報告が取り上げているのは、自衛隊の憲法問題に限られている。しかし、安保条約問題も同じだが、綱領の理論上の問題を除けば、私が再審査請求書で述べていることの中心点の1つは、私が『シン・日本共産党宣言』で提示したことは、すべて志位氏が最初に明言した問題を私なりにかみくだいて豊かにしようとしたものであって、それなのに一方の志位氏はなぜ何のおとがめもなく、他方の私は除名という最高の処分を受けなければならないのかということだった。

 

 自衛隊問題でも、私が「核抑止抜きの専守防衛」を打ち出したことに対して、「赤旗」の藤田健論文は、専守防衛は憲法違反だと批判を加えてきた。けれども、例えば22年4月7日の「参議院選挙勝利・全国総決起集会」で、志位氏は次のように述べている。

 

「わが党は、綱領で、憲法9条の完全実施に向けて、国民多数の合意で、自衛隊問題を段階的に解決していく方針を明確にしています。その重要な第一歩は、安保法制を廃止して、海外派兵の自衛隊を、文字通りの専守防衛を任務とする自衛隊に改革することにあります。」

 

 これは、共産党が「専守防衛」を肯定的な文脈で位置づけた最初のことであった。この集会の直後、私は党中央の政策員会で政治外交委員長をしていた山根隆志氏(故人)と会い、「大転換だね」と評価したのだが、「松竹さんならこの意味の大きさは分かるよね」と答えてくれた。

 

 志位氏がそう発言したから、私は「専守防衛」を党の政策として打ち出すことに、何のちゅうちょもしなかったのだ。ところが、志位氏が専守防衛を言えば讃えられたのに、私が専守防衛を打ち出すと綱領と憲法に反することになり、除名処分まで受けるのである。

 

 山下報告は、そのような不均衡には何もふれていない。それで「綱領に対する無理解にもとづく主張であり、まったく成り立たない」と述べるのである。それが非常識でないというなら、それを同じ批判を、是非、志位氏にも投げつけてもらいたい。(続)