山下報告は、私の再審査を却下する理由について、3つにわけて述べている。それぞれに答えておこう。

 

 まず最初は、昨年2月の除名に当たって公表された「除名処分決定文」において、「(松竹氏が)わが党規約が「異論を許さない」ものであるかのように、事実をゆがめて攻撃したことを批判した」ことに関するものである。

 

 私は、これまで一度たりとも、共産党が「異論を許さない政党」だと述べたことはない。そうではなく、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」ことを懸念し、それを可視化する手段の1つとして、党首公選を提案したのである。

 

 山下報告は、いま私が引用した部分は、ちゃんと正確に引用している。その上で、2つのか角度から私を批判する。

 

 1つは、異論が可視化されていないという私の主張が、「事実と異なる」という点である。その根拠として挙げているのが、58年の第7回大会では「一定数の反対意見も存在し、それが党大会にも反映し、採択が見送られた」という事実と、大会の度ごとに(今回大会でも)討論誌が発行され、「全体のなかではごく少数の異論『可視化』している」というものだ。

 

 まず後者について言えば、これを異論の可視化の実例として持ち出すこと自体、異論の可視化を党中央が重視していないことの実例のようなものだ。だって、可視化と言えば、誰にでも見えることを意味するが、この討論誌というのは「赤旗」の党活動ページの臨時号として出されるものだが、「赤旗」読者にさえ配られることはない。地区委員会まで行っておカネを出す人だけにしか見えないようにしておいて、それを可視化と言い張る度胸には恐れ入る。

 

 要するに、一部の党員にしか伝わらないような異論は、こうやって活字にもする。しかしそれが、私の『シン・日本共産党宣言』のように多くの党員に可視化されるようになると、攻撃だとして除名する。大会で800人の代議員を前に異論を唱える党員が現れると、よってたかってパワハラで潰そうとする。国民の目に見えている共産党の現実は、異論は弾圧されるというものだ。異論の可視化の正反対にあるものだ。

 

 しかも、これを「全体のなかではごく少数の異論」と言いきっていることにも、ちょっと待てよと言いたくなる。討論誌には300人以上が投稿したが、7割から8割は党運営に対する異論であった。それだけの人が真摯に投稿しているのに、党大会では何一つ、それに対する感謝の言葉もないし、回答らしきものもなかった。

 

 22大会で自衛隊活用論が打ち出された際、代議員一名が保留した。共産党の代議員選出システムからして、大会ではたった一名の保留でも、その背後には半数近い異論があったことは、その経過でも明白だ。私は担当者として、あちこちに行って説明したけれど、どこでも党中央批判の嵐であった。それを「全体のなかではごく少数の異論」としてまともな討論もしなかったことが、現在につながる党の安保・自衛隊問題の混迷を生んでいる。

 

 山下報告は、半世紀近く前の7回大会のことを持ちだし、「一定数の反対意見も存在し、それが党大会にも反映し、採択が見送られた」と書いている。大事な決断であった。しかし、党の現状は、安保自衛隊問題でも党運営の問題でも、「一定数の反対意見も存在し」ているのである。7回大会のような決断をすべき時だったのである。現実が見えていないので、「非事実」だと述べておこう。

 

 そういう決断が出来ないのに、果たして指導部としての責任を果たせるのだろうか。

 

 なお、東京から家に戻ったら、再審査請求書への回答が届いていました。公式HPにアップしておきました。私は裁判が終わるまで、こうやってあらゆることを可視化していこうと思います。(続)