さて、私の除名再審査はどのように行われたのか。まず、党大会2日目に行われた山下副委員長の「松竹伸幸氏の除名処分再審査についての報告」は、規約第55条「被除名者が処分に不服な場合は、中央委員会および党大会に再審査をもとめることができる」を引いて、次のように述べる。

 

「大会幹部団は、この規定にもとづいて対応を協議し、松竹氏の『再審査請求書』を党大会として受理し、大会幹部団として再審査を行うこととした。」

 

 私の再審査の求めは、ちゃんと党規約に根拠があることして認めたわけだ。ところがその直後の文章で、大会での「再審査」というのは、大会代議員による審査ではなく、大会で選ばれたわずが21人の大会幹部団によるものだと述べる。そうしたのは、過去の再審査の例をふまえたものだと言うのだ。

 

「除名処分をされた者が大会に除名処分の再審査を求めた例は過去にもあるが、そのさいにも大会幹部団の責任で再審査を行い、その結果を大会に報告するという対応を行っており、今回もこれまでの対応を踏襲することとした。

 

 これにはびっくりした。山下報告は、冒頭から虚偽を述べている。私の再審査を却下した理由が成り立たないことは、これから書いていくけれども、その前提となる再審査のやり方からして虚構なのである。

 

 党員として積極的に活動している人なら、党大会が開催される度に、その全容が月刊誌「前衛」の臨時増刊号として発行されることはご存じだろう(代議員の発言も全文が掲載されるので、福岡の内田県委員長の「こんな連中」表現が正直に載るのかも注目点である。「こんな人」とかなっていたら改竄されたということだ)。その臨時増刊号には、いつも「大会日誌」というページがあって、この日はこういう議事があってこう処理されたとか、この日は一日中代議員の発言が続いたとか、ちゃんと書かれている。

 

 私はその臨時増刊号を改めて取り寄せで読んでみた。除名再審査の規定を盛り込んだ党規約が決まったのは第7回大会(1958年)なので、8回大会(1961年)以降である。そうしたら、8回大会から28回大会(2020年)まで、除名の再審査を行ったという記述は一度もなかった(除名を決めた例はあるが)。

 

 一つだけ、山下報告が言う「過去の例」とはこれのことかな、と思わせるものがあった。第9回大会(1964年)のことである。大会の直前、除名された中野重治や志賀義雄など4人が、自分たちとその他不当に除名された党員の除名の撤回を求め、要請書を送ったのだ。それに対して、こう処理したと書かれている(画像)。

 

「『これは大会にあてたものでもなければ大会幹部団にあてたものではなく、正規の規約上の手続きを経たものでない。大会幹部団はこれを無視することにし』と報告した。全代議員はこの措置を割れるような拍手で承認した。」

 

 大会幹部団が判断したことも、それを大会に報告し、代議員が拍手で承認したことも、今回の私の場合と同じである。ちゃんと先例になっているだろうと思われる方もいるかもしれない。

 

 しかし、ここで明確に書かれているように、中野らの要請は「正規の規約上の手続きを経たものでない」と判断されたのである。だから、大会幹部団だけが審議して「無視する」という決定を行い、その決定を代議員に報告し、割れるような拍手で承認したのである。

 

 つまり、中野らの要請は「再審査」とは認められなかったのだ。それに対して、今回の私の要請は、すでに引用したように、規約にもとづく再審査と受理されたのである。

 

 ところが、私の再審査はちゃんと規約上のものだと認めておきながら、それを却下するやり方は、規約の手続を経ていないとされた中野らの場合と同じなのだ。これって、規約にもとづかないと断定した中野らの場合、大会幹部団だけで扱いを決め、代議員に報告した。規約にもとづく再審査だとみなされた私の場合も、大会幹部団だけで扱いを決め、代議員に報告した。

 

 これって、党中央が規約というものを、きわめて軽く扱っていることを意味している。「軽く」というのは穏やかな表現で、規約の非常識な理解とでも言うべきものだろう。いや、違う論理で扱うべきものを同じにした点ででが「非論理」でもある。(続)