私の再審査が却下された経緯については、もっと正確な情報を入手した上で、自分の考え方を示すようにしたい。ただ、昨日の山下報告では、

「松竹氏の「再審査請求書」を党大会として受理し、大会幹部団として再審査を行うこととした」

「以下、審査の内容と結果を報告する」

「松竹伸幸氏による除名処分撤回の請求を却下したことを報告する」

とあることから、

再審査は受理したが、審査したのは大会代議員(約800名)ではなく、

大会幹部団(21名)だということである。

そこで却下を決定し、800人の代議員に対しては「報告」しただけということだ。

「拍手で承認した」という報道があるけれど、これって「承認」とは言えないだろう。

一方、それ以前に私の除名に異論を唱える発言通告があったので、

さすがに発言させない選択肢はとれないので、

その後に複数人の反論を準備した上で、

その代議員に発言させたということか。

いずれにせよ、私のまとまった考え方は、後日。

 

 大会に呼ばれることがなくなったので、もう戻ってきている。公私ともにやるべきことは多いのだ。私的なとことで言うと、私は、約300戸が居住するマンションの1戸のオーナーなのだが、どうしても他の人に任せられない仕事が発生している。

 

 そのマンション、もう築50年で、しかも阪神大震災のあとの検査で、現行の建築基準法の耐震基準を満たしていないことが分かっている。その頃は、まだ築年数が少ないこともあり、住民もあまり気にしなかったのだが、5年前、大阪北部地震があって深刻な状況が明るみに出て、もしものことがあったら大変だという自覚が住民の間で生まれた。

 

 そこで建替えを含む将来構想を検討する理事会の諮問機関がつくられたのだが、あまりうまくいかなかった。この問題、本当に住民の間で考え方が異なっていて、まとめるのが大変なのである。

 

 ということで、「お前が委員長をやれ」と言われて、昨年夏頃から、動きはじめている。その関係で、どうしてもやらなければならない仕事が降って湧いたのだ。

 

 このブログやYouTubeを見てくれている方の多くにとっては、私が『シン・日本共産党宣言』を出したことが、そのきっかけになっていると思う。だから、私の性格について、たとえハレーションを起こしても自説を断固として主張する(固執する?)人だと捉えているかもしれない。

 

 でも、まったく違うのである。なぜ私が諮問機関の委員長をやることになったかというと、自分の勝手な解釈かもしれないけれど、住民の間での意見が異なったとき、自説を貫くのではなく、他の人の意見を聞いて調整する型の人間だと思われているからだ。

 

 実際この間も、建替えを主張する人がいれば、「それはもっともですね」と答え、建替え反対を主張する人がいれば、「それもそうですね」と対応してきた。相手に共感していると分かってもらえないと、心を開いて会話ができないからね。そうやって、何とか一致点を探ろうとしてきたのである。だから、一歩ずつではあるが、少しずつ前進しているのが現状。

 

 この問題が決着ついたとき、なかなか難しい人間模様のなかで、どうやってその調整ができたのか、きっと本にできると思っているのだが、どうだろうか。まだ何年も先になるけどね。

 

 それにしても、私が共産党の党首になったら、党内のいろんな意見を尊重して運営していけると思ったし、いまの共産党にはそれが必要なんだけれど。29大会は、誰になるにせよ、革命の敵を打倒する型の党首を選ぶのだろうね。