昨日まで、10中総での志位氏の挨拶をふまえ、「29回党大会の意義と綱領の世界論」を論じてきた。本日からは、「変革の力」について考えたい。志位氏は、大会の二つ目の意義について、次のように述べている。

 

「第二に、来たるべき党大会を、『アメリカいいな』『財界中心』という二つのゆがみをもつ自民党政治と国民との矛盾が極限に達していることを明らかにするとともに、このゆがみに正面からメスを入れる日本改革の展望を、綱領を土台にして太く指し示し、直面する総選挙での躍進をはじめ日本共産党の反転攻勢の狼煙(のろし)をあげていく大会としていきたいと思います。」

 

 その通りだと思う。志位氏はこれに続いて、「岸田・自公政権への国民の批判と不信の声が日増しに高まり、政権末期に近い様相を呈しています」と述べているが、これは11月13日の挨拶だった。現在のパーティー券問題はそれ以降に顕在化したものであり、この指摘はますます重要になっている。

 

 大会決議案は、「『アメリカいいな』『財界中心』という二つのゆがみをもつ自民党政治と国民との矛盾が極限に達している」様子をリアルに解き明かしている。その内容について私からつけ加えることはない。たいへん大事なことが大会決議案では語られている。そこで提起されている現状分析、国民の願い、党の政策には正当性があり、「その通り」というしかない。

 

 ただ、志位氏が挨拶で述べている「このゆがみに正面からメスを入れる日本改革の展望」とか、「直面する総選挙での躍進をはじめ日本共産党の反転攻勢の狼煙」が描かれているかというと、それは別物である。政策が正しいからといって、国民が改革の展望を手にしたり、党が反転攻勢に転じられるかというと、そう単純ではないからである。

 

 共産党は70年代末までは、党員も「赤旗」読者も増えていった。その時代と党勢が後退していった80年代以降の40年間は何が違うのか。理由はいろいろ考えられる。ソ連が崩壊し、社会主義に魅力がなくなったこともあろう。

 

 けれども根本的な理由は、共産党の言っていることは正しい、政策ももっともだと思われるにしても、果たしてそれが本当に実現するのかという疑念をもって見られるような時代に入ったことにあると思う。そこが70年代までと違うのである。

 

 それ以前は、老人医療費の無料化をはじめ社会保障の充実を訴えても、「それは理想だけど実現は難しいね」とは思われなかった。実際にいくつかの政策は実現したし、地方ではそういう政策の実現を掲げる革新自治体が誕生し、共産党が国政でも躍進して社会党との連合政権ができれば国政は変わると思われた。国民にも党員にもそれを実感させるものがあった。

 

 しかし、80年以降、社会党は共産党との政権共闘を拒否したし、安保条約の廃棄で手を組める政党はなくなった。どんなに共産党が正しい政策を掲げても、それが国政で多数を占める展望が見失われたわけである。

 

 そう、「変革の力」を生み出すには、政策が正しいというだけでは足りない。圧倒的に足りない。どうやったら多数になって政権を担えるのか。そこが見えないと、国民は共産党に国政を託す気持になれないのである。

 

 「政策の正しさ」プラス「政策の実現可能性」。これを見せられるかどうかが、政党の知恵の発揮しどころなのだ。(続)