世界をリアルに見る点では、アメリカや日本、中国をリアルに見るというだけでなく、他の国々についても同様でなければならない。それはASEANについても同じということである。

 

 ASEANの努力を大会決議案に書いているように積極的に見ることは当然である。今回のASEAN訪問でも是非、いろいろ学んできてほしい。本日の「赤旗」でも志位氏がインドネシア外相特別補佐官と会談した様子が載っていて、年間で1500回も対話の取り組みをしていることが紹介されているが、大事なことであると思う(但し、日本外務省のHPを見れば分かるように、日本もまた100回程度の対話の取り組みはしているのであり、この東アジアで対話しない国と重視する国という対立軸ができているわけではない)。

 

 ASEANが対話を重視しているのは、この地域で中国とアメリカの緊張が高まり、いざ戦争となったら、ASEANも無傷ではいられないからである。だから、そういう戦争が起こらないよう、不測の事態が戦争に発展しないよう、つねに対話をしておかねばならないと考えているわけだ。

 

 そういう環境におかれているのは日本も同じである。だからASEANに学ぶことは大事である。

 

 しかし同時に、ではASEANは平和外交一本槍かというと、そうではないことである。あらためて指摘するまでもなく、どの国も立派な軍隊を保有しており、とりわけ南シナ海では中国の挑発行動に対して毅然と対処もするわけである。

 

 フィリピンのようにアメリカとの軍事関係を重視し、台湾有事を想定した軍事的ガイドラインを結ぶなど、近年、軍事的な依存関係を強めている。ベトナムだって、覚えている方も多いと思うが、南シナ海での緊張状態での防衛の備えのため、日本から巡視船6隻の無償供与を受けている。

 

 つまり、ASEANだって、平和外交だけでなんとかなると思っていない。軍事的備えは強化しているということだ。日本共産党が学ぶとしたら、そのバランスをどうとっているのかということだと思う。いまのような共産党のASEAN論は、防衛努力を否定する基本的な見地から来ており、いくら日本でASEANの平和の枠組みの意義を宣伝しても、「やはり共産党は自衛隊なしでやっていこうとしているのだね」と見られてしまい、支持が広がることはないだろう。

 

 防衛の努力は欠かさない。では、中国の挑発に備えるだけの軍事的な努力と、しかし同時に中国を挑発して行動に踏み切らせない軍事的な努力とは、いったいどんなものなのか。平和的な努力と矛盾しない防衛努力とはどんなものなのか。それをASEANから学んで来ることが大事である。

 

 それを抜きにして、ASEANは平和努力しかしていないかのように捉えられる宣伝を行うようなら、やはり世界をリアルに見る世界論ではなくなってしまう。61年綱領のように帝国主義=悪、社会主義=善という世界論からようやく抜け出したのに、ASEAN=善という新しい固定的な世界論に立つことになってしまいかねない。カンボジアやミャンマー、タイなどの国内政治を見れば、とうていそんな見方は成り立たないはずなのに。(了)