土方文書を論じるYouTube動画の2回目をアップしました。どうぞご覧ください。いろんな問題が起きた時、今回のようにmまずYouTubeで論じて、その後、ブログでよく考えながら補足するというのは、わりといいやり方かもしれませんね。

 

 

 土方さんは、なぜ宮本顕治に関する私のテキストを削除したのか。そこが分かりにくい。

 

 宮本氏は、共産党の歴史のなかでは、現在の党をつくった偉大な指導者だと位置づけられている。宮本氏が主導してつくった61年綱領は、いまは廃止されたとはいえ、80年頃までの党の前進の基盤となった。現在の志位指導部は、不破氏が主導した2004年綱領には関心を持たず、61年綱領(と58年規約)に先祖帰りしているほどであるから、宮本氏のことは誇りに思っているはずだ。

 

 その宮本氏を私が引用し、「当時の宮本氏のように」とか「宮本氏のやり方に倣って」やろうと言っているのである。正直にそのまま引用すればいいではないか。

 

 それができないのは、一つには、「現在の党指導部の方針に反対していたとしても、必ずしも明確に反対すると言わないやり方」を私が推奨しているとされているのだが、そのやり方を宮本氏がやったと認めることになるからである。土方さんは、私のとっている態度について、「規約に反する行動を行うよう、党員にけしかけるもの」だとか、「規約の精神を真っ向から踏みにじる」とか、「党内の率直で民主的な討論を、二心的な議論に置き換えようという、たいへんに卑劣なやり方」と言っているのだが、それがじつは「宮本氏のやり方」ということになるわけだ。

 

 ということは、私が「二心的」なら宮本氏も「二心的」になってしまう。さすがに宮本顕治氏のことを「二心的」と言えないだろう。共産党の組織局長がそんなことを言ったら、明白な処分対象である。

 

 土方さんにとっては、それ以上に、隠さなければならない事情があったのだと思う。「宮本氏のやり方に倣って」という文章を目にとめた党員が、万が一、「これはどういうことだろう」といぶかり、私のブログを見に行くことになったら、現在の党中央が党員には隠している事実を目にすることになるからだ。それが50年問題の際の宮本氏の態度をめぐる問題である。

 

 現在の党中央は、当時の共産党の武装闘争について、「党が分裂した時期の一方の側の行動」だとしている(党国会議員団事務局「野党共闘の分断をもくろむ日本共産党へのいわれなき攻撃」19年3月24日付「赤旗」)。当時の共産党は、徳田球一氏を先頭とする多数派(所感派)と宮本氏を中心とする国際派に別れていた。この論文が述べている「一方の側」とは、武装闘争を行ったのは所感派であって、宮本氏を源流とする現在の共産党には関係のないというのが、現在の党中央が言いたいことである。

 

 そういう文章を見せられると、武装闘争方針を決めた「51年綱領」(現在の共産党は「51年文書」と呼んでいる)も、国際派を除いて所感派がつくったものだと、そういう印象を持ってしまうだろう。入党を呼びかける際、この問題に疑問をもつ人がいたら、そう説明することになるだろう。

 

 しかし、そう単純ではないのだ。そして、土方氏の文書に触発され、「宮本氏に倣って」とは何だろうと疑問を抱き、私のブログを見に行くと、それが分かってしまうのである。(続)