中祖寅一様

 第二事務の仕事については、あなたもそれなりにご存じだと思います。あなたは「赤旗」で党首付のような立場で、党首が国会で記者会見をすればついていきますから、同じく党首についてくる第二事務の人とは親しい間柄でしょうから。

 でも、名称程度しか知っていない人も多いのに、私がそれを書けるかをまず説明しておきましょう。それが第二事務の仕事の内容にもつながっているからです。

 

 私は1989年からの数年間、金子満広衆議院議員の国会秘書を務めていましたが、金子氏は当時、党書記局長の任にありました。党務で忙しいから、国会にいつもいるわけではなく、本会議や委員会に参加する日とか、質問の打合せとか、国会に来られるのは限定されていましたた(秘書としては時間がいっぱいあって勉強できたので幸せな日々でした)。

 

 金子氏が国会に来るときは、いつもガタイの大きな人が一緒なのです。来る度に変わるというか、数名でローテーションを組んでいるようです。それが第二事務の人たちでした。

 

 その時、金子氏は奥の議員室に向かいます。しかし、第二事務の人は、秘書の部屋しか居場所がないのです。いっしょで同じ部屋に何時間もいるわけですから、おのずと会話が弾むことになります。退職後も、私が講演する機会などがあると、わざわざ聞きにやって来る人もいるほどには親しくなるのです。

 

 そういう個人的な関係もあるものですら、「プレジデント・オンライン」の記事のように、第二事務の仕事は一般党員をスパイすることだと言われると、どうしても黙っていられないのです。昨日の「機構と人事」のように、以前とは違って第二事務に所属する人は、役付きの人に限定されるとはいえ名前まで明らかにされている時代です。子どもや孫から、「お父さん(おじいちゃん)、党員をスパイするのが仕事なの?」と聞かれることになるかと思うと、胸が締めつけられるようです。かつてとは異なり、いまや公開された部署なのですから、本来なら、「赤旗」や共産党自身が反論すべきだと思います(事実だから反論できないというなら仕方ないんですけれど)。

 

 この記事を書いた篠原氏は、私が政策委員会にいるときに国会の秘書をしていて、いろいろお世話になったのでよく知っています。私が参議院の比例代表選挙(九州・沖縄)に立候補した際、福岡県から選出された国会議員に秘書をやっておられて、選挙活動でもお世話になりました。

 

 その後、故あって共産党を除籍をされたのですけれど、いつだったか、「自衛隊を活かす会」が「南スーダン後の自衛隊の国際貢献の可能性」をテーマに、政党代表をお招きして円卓会議を開いた際(共産党からは笠井亮さんが出席してくれました)、どういうわけか自由党の国会議員の秘書をしておられたので、当時の自由党幹事長だった玉城デニーさんに出席して頂きたかったので、篠原さんにお願いしに行ったこともあります(実際にデニーさんには出席してもらいました)。

 

 そういえば、中祖さんも、篠原さんとは浅からぬ関係があるそうですね。

 

 そういうことがあるので、活字で批判するようなことはしたくなかったのですが、上記のような事情があるのでブログで取り上げた次第です。なお、「プレジデント・オンライン」の記事冒頭にあるように、これは氏の著作『日本共産党 噂の真相』(育鵬社、2020年)の一部を再編集したものですが、もともとは2009年の『いますぐ読みたい 日本共産党の謎 」が出所であり、氏が依拠した情報もその時点でのものであることは断っておきました(現時点で書かれるなら別の内容になっているかも知れないので)。(続)