昨日の『甦る「資本論」』出版記念イベント、とっても斎藤幸平さん、内田樹さん、石川康宏さんのお話と討論、とっても充実した内容でした。リアル参加が約300名で、YouTube動画の視聴もすでに3000名を超えています。ありがとうございました。

 

 次のライブ中継は11月2日の午後5時、「民主集中制」をめぐって、京都橘大学名誉教授の碓井敏正さんと私の対談をお届けします。すでにYouTubeチャンネルへの登録は当面の目標の1000名まであと数十名にまで迫っておりまして、それを超えると新たな展開が可能になり、除名問題の再審査請求の活動にもいい影響を与えます。是非、ご登録の上にご視聴ください。

 

 

 なお、「五〇年問題と「敵の出方論」の評価を見直す3」について、若干の補正を行いました。共産党は第7回大会(58年)で55年の5全協(武装闘争路線の51年綱領を決定)について「ともかくも一本化された会議」としましたが、それから30年以上経って、この表現に不備があったとして取り消しました。その問題への言及がなかったのを書き足しました。その部分は以下のようなものです。それをご紹介した上で、連載を続けます。明日が最終回です。

 

〈しかし、事実のもう一つの面を見れば、五一年綱領が制定された時、宮本氏などは元の鞘に収まっていたのですから、党はすでに分裂していないのです。五全協は、第七回大会(五八年七月)における中央委員会の報告のように、「ともかくも一本化された党の会議であった」ことは確かなのです。共産党はそれから三〇年以上も経った八九年二月、この「一本化された」という部分について、「これは文書点検上の不備にともなう誤りで、この一句はのちに削除されました」(『日本共産党の百年』)としています(第一八回大会四中総での決定)。五一年綱領は党が一本化されていない時期のものであって、「一方の側が決めた」という論理を強めることによって、公安調査庁の破防法調査団体指定の口実をなくそうとしたのかもしれません。

 けれども、分裂した党が「一本化された」かどうかというきわめて重要な問題を、「文書点検上の不備」で三〇年も見逃したということ自体が、あまりにも不自然です。しかも、宮本氏が五一年綱領の制定時には党に戻っていたことは、疑えない事実の問題です。ですから、五一年綱領についても、「一方の側が決めた」程度のことは言えても、当時すでに「他方の側」は解散して存在しておらず、「党が分裂した時期」の決定ではありません。〉

 

●現在の綱領には「敵の出方論」の要素は皆無である

 

 党員なら誰でも知っていることですが、「敵の出方論」という言葉は、すでに党として使っていません。共産党は、「この表現は二〇〇四年の綱領改定後は使わないことにし」(『新・綱領教室』)た上で、そのことを第二八回大会の第三回中央委員会総会(二〇二一年九月八日)でも確認しました。

 

 けれども、「表現は……使わない」というのは中身は変わらないということです。だから、公安調査庁も、「(共産党が)『いわゆる敵の出方論』を採用し」と言い続けることになっています。

 

 しかし、共産党の理論と政策の発展は、「敵の出方論」の表現は使わなくなったという程度にとどまるものではありません。「敵の出方論」という考え方自体、現在では廃止されていると言えるはずです。

 

 転機となったのは一九九四年の第二〇回党大会です。この大会では憲法第九条を将来にわたって堅持するという大転換を行いました。これは自衛隊も廃止するし、先ほど紹介した一九六八年の政策で打ち出された改憲による新自衛組織も不要だという立場です。

 

 それまで共産党が「敵の出方論」をとってきたのは、「敵」であるアメリカが日本革命の前進を恐れて武力で襲いかかってくる可能性があると認識していたからです。その場合、対抗するための軍事組織が不可欠だと考えていたのです。ですから、軍事組織は将来にわたって不要だとした二〇回大会の決定は、アメリカが武力で革命を鎮圧する可能性はなくなったと認識したか、あるいはその可能性があっても共産党の側が武力を使って対処するという方針を放棄したことを意味します。

 

 さらに二〇〇〇年の党大会では、自衛隊も安保条約も三つの段階を経て廃止するが、当面の第一段階では自衛隊も安保条約も維持することを決めました。さらに、侵略と大規模災害の際には、その自衛隊を活用することも決めました。自衛隊は自分に襲いかかってくる集団だと考えていたら、自衛隊の活用など口にできないでしょう。

 

  くわえて二〇〇四年には、「敵の出方論」の理論的根拠となった旧綱領を廃止し、新しい綱領を策定しました。そして、すでに紹介したように、この新しい綱領では、そもそも「敵」という概念、用語をなくしたのです。

 

 これは用語を使わないという程度の問題ではありません。二つの内容上の大きな変化がありました。

 

 一つは、国家権力に対する見方が変わったことです。

 

 旧綱領は既述のように、国会で多数を占めて政府を樹立しても、実際の権力は日本独占資本とアメリカ帝国主義が握っているという見地で彩られていました。しかし現在の綱領はこう述べています。

 

「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破──日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。」

 

 似たような言い回しが残っているので誤解されるかもしれませんが、権力は独占資本とアメリカ帝国主義が握っているという規定ではありません。そうではなく、それら二つの「体制を代表する勢力」が握っているというものです。

 

 この「勢力」が何を意味するのか明示的に定義されていませんが、文脈からして、中心的には「自民党政権」ということになるでしょう。自民党政権がもつ「権力」を民主連合政府に移行させるというのが現綱領の立場です。

 

 もちろん、独占資本やアメリカ帝国主義という「支配勢力の妨害や抵抗」との闘争は、新綱領でも強調されています。同時に、そのために実際に何をするかというと、以前のように「二つの敵」を倒すことではなく、「統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となること」なのです。行政機構以外の何者かが、国民の選挙での選択とは無関係に「権力」を有していて、革命の前進に対して暴力で襲いかかってくることを連想させるような記述は皆になったのです。

 

 もう一つは、アメリカ帝国主義に対する見方の変化です。

 

 旧綱領は、レーニン以来の帝国主義論を継承し、武力で他国を支配するアメリカ帝国主義の本質は交渉や対話で変えられるものではなく、日本が独立するにはこれを打倒するしかないという見地に立っていました。しかし現綱領は、「世界の構造変化のもとで、アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われていることは、注目すべきである」としています。

 

 アメリカが外交交渉を重視し、日本革命にたいして武力で襲いかからないなら、「対米従属の自衛隊」がアメリカの意に反して共産党を襲撃することもなくなります。不破氏が二〇〇〇年の自衛隊活用論や〇四年の新綱領策定を主導していた頃、党指導部内には自衛隊の「暴力装置」としての本質を危惧する声が少なくありませんでした。それを説得する不破氏の口癖は、「自衛隊は技術集団だから大丈夫だ」というものでした。そもそも、自衛隊が共産党に暴力で襲いかかってくると考えていたら、とうてい自衛隊活用論など唱えられません。もちろん、自衛隊については改革すべきところはたくさんありますが、民主連合政府が行政の諸機構を政府の方針に従わせる一環として対処できるというのが、現綱領の依って立つ立脚点だと思います。(続)