●「国民世論を結集してこれを許さない」対応をめぐって

 

 公安調査庁は、共産党が政権に就いたあとの問題はともかく、それ以前に暴力的な襲撃を受ける際の党の対応については、大いに問題にしています。志位氏の言明に即して言うと、②の場合の共産党の対応です。冒頭で引用した公安調査庁長官の不破氏に対する答弁でも、「民主主義の政権ができる前にこれを抑えようという形で、不穏分子をたたきつけてやろうという問題であります」「その全部について敵の出方論があり得る」として警戒を表明しています。

 

 ②の場合の共産党の対応は、志位氏が述べるように、「広範な国民世論を結集してこれを許さない」というものです。私自身は、この志位氏の言明を読めば、世論を結集するということだから平和的に対抗するのだと思います。ところが公安調査庁は、これを読んで「不穏分子をたたきつけてやろうという問題」という捉え方をしているようです。

 

 常識的に考えればの話ですが、政権をとっていない政党に対して、何らかの勢力が暴力的に襲いかかってくる場合、どう対応するでしょうか。政府に対して「警察力でなんとかしてほしい」と要請するのではないでしょうか。現在も、共産党が何らかの集会を催すような場合、右翼団体などの襲撃を恐れて、警察に対して警備を要請することがあります。

 

 ところが、「敵の出方論」が論じられる文脈では、そういうやり方をとることは明示されず、志位氏の言明のように「国民世論を結集してこれを許さない」対応をすることとされます。なぜそういうことになるのでしょうか。

 

 これはすでに述べたように、共産党に暴力で襲いかかってくるのが、自衛隊や警察などの政府機関だと想定されているからです。警備を要請すべき相手が襲いかかってくると思っているのですから、そういう政府機関に警備を要請することはあり得ません。

 

 では、そういう政府機関が襲ってくるのに対して、共産党が「国民世論を結集してこれを許さない」というのは、何を意味するのか。私が大学生の時、まだ旧綱領の時代でしたが、先輩の党員から教えられたのは、「革命の前進に対して自衛隊や警察が襲いかかってきた際、共産党は何百人もの『革命デモ』を組織し、あいつらを包囲して撤退させるのだ」ということでした。

 

 私はそれを聞いて、武器を持っている自衛隊や警察に対して、五〇〇万人のデモで包囲したからといって、それらが退くことはないだろうなと感じました。一方、共産党はデモをするだけであり、暴力に訴えるのではないのだ、共産党の側は結果として敗退するだろうけれど仕方ないよねと、安心した面もありました。

 

 しかし、公安調査庁の人たちは、先ほどの国会答弁のように、これを「不穏分子をたたきつけてやろうという問題」だと捉えているのです。五〇年問題では、共産党を名乗る人たちが警察署や派出所を襲ったことがあり、それをずっと教えられてきたことと無関係ではないでしょう。しかも現在、共産党の側は「あれは一方の側の行動だった」として、反省する素振りがありません。さらには、警察が襲われたわけではありませんが、六〇年代末の学園紛争の際、極左暴力集団が暴力で共産党や民青同盟に襲いかかってきた際、共産党は「不法な暴力に対して正当防衛の実力行使は許される」という「赤旗」主張を掲げ、時には角材なども手にして、暴力集団を追い詰めるまで徹底的に戦ったこともあります。このような経緯があるので、共産党が「世論を結集してこれを許さない」という場合、自衛隊や警察の武力をはねのけ「許さない」だけの実力行使も含むものだと考えているかもしれません。実際、五〇〇万人のデモ隊が二〇万人の自衛隊を包囲する場面というのは、「世論を結集してこれを許さない」という党の公式方針からすると、包囲される相手の眼には「不穏分子をたたきつけてやろうという問題」と映る可能性もあるでしょう。

 

 ですから、共産党はこの問題に答える必要があります。私はこの問題を次のように考えます。