四、復党して党首公選が実施されたら、立候補して訴えたい問題

1、現綱領と現規約を党活動に素直に反映させる党改革を

●綱領では第一段階と第二・第三段階の関係を整理すればいい(了)

●第一段階にふさわしい政策と党活動は「一三〇%の党づくり」に欠かせない(了)

●民主集中制は規約通りに運用する──異論を尊重する党運営(了)

●規約の解釈権は党員にも機関にも存在すると明確にし、異なった場合の運用をルール化する(了)

 

2、「赤旗」を党と国民がともに要求を叶える「至宝」としてネット化する

 

 「しんぶん赤旗」の改革が急務になっていることは、大会代議員のみならず党員のほとんどが自覚しているところです。「赤旗」紙面には党幹部が何回も登場し、このまま日刊紙の赤字が拡大するようなら、発行そのものが危機を迎えることを訴えています。いつ日刊紙が廃刊になってもおかしくないと、誰もが感じています。それは党活動に不可欠な財政がもたないことであって、党活動そのものが危機的状態にあることを意味しています。

 

 それなのに、これまで何の打開案も示されていません。現在の党指導部は、みずからが指導部の間に日刊紙廃刊になると悪名が刻まれてしまうので、次の党指導部に決断を委ねようとしているのではないでしょうか。そんなことをして先延ばししたら、危機はより深刻なものとなります。

 

 私は除名された身であり、この大会の再審査で除名撤回の求めが却下されたら、もはや党に復帰するすべを失います。しかし、五〇年近くを党の前進のために捧げてきた一人として、また新聞の未来のあり方を模索して苦悩してきた「赤旗」や一般メディアの記者とも付き合いのある一人として、たとえ党に復帰できない場合でも、党勢の維持・発展を願って私なりの改革案を提示しておきたいと考えます。

 

●「赤旗」と党の危機は現行電子版への全面移行程度では救えない

 

 今年六月の第八回中央委員会総会は、「赤旗」発行の危機キャンペーンのなかで行われたので、改革の方向性を指し示すと思われました。しかし、「赤旗」関連で提起されたのは、わずか以下の点だけでした。

 

「より広い方々、『電子版なら読める、読みたい』という方々に『しんぶん赤旗』を広げるために、日刊紙の電子版をより積極的に位置づける制度改革にとりくむとともに、日曜版の電子版の実現に向けた準備を開始いたします。」 

 

 「赤旗」を財政面から捉えると、昔から「日刊紙」は赤字を抱え、部数の低下とともに深刻化しており、それを「日曜版」の黒字で補填して支えていると言われてきました。その日曜版まで電子化を視野に入れはじめているということは、もはや日曜版の黒字も日刊紙を支えきれるほどのものでなくなっているのかもしれません。

 

 問題は、日刊紙の電子版の位置づけを高めるとか、日曜版の電子版の実現という表現です。ここから見て取れることは、「赤旗」改革を現行の電子版の延長線上に位置づけているように思えることです。

 

 もちろん現行の電子版に全面移行するということになれば、印刷したものは廃止するということですから、用紙代、印刷代、郵送費などの膨大なコストは不要になります。赤字は大幅に減るとともに、一時的には黒字化するのでしょう。しかしそれは問題の先送りに過ぎず、一息付ける状況に甘んじてしまえば、やがてさらに大規模な危機が襲ってくることになります。

 

 まず、現行の電子版というのは、購読している方なら分かるように、紙版のものをPDFファイルにしただけのものです(いくつかの記事はテキストデータ付き)。文字を拡大できる点を除けば、紙版のほうがよほど読みやすく、現行方式での全面的な電子化は、現在の読者の大半を占める高齢者には、あまり歓迎されることはないでしょう。党員や長年の支持者なら、我慢して読み続けてくれるかもしれませんが、新しい読者が増えることは考えられません。

 

 現行の電子版の最大の問題は、ネットに通暁した若者にとって魅力的ではないことです。若者が電子版とかネット版という言葉で思い浮かべるのは、記事の検索ができたり、読んでいる記事の関連記事が表示されるなど、ネットならではの機能です。けれども現行の電子版は、紙版をそのままデータ化したものなので、ネット版ならではの機能がついていません。若者が電子版を歓迎するとしたら、集金する人が家まで訪ねてこないという程度のことでしょう(それも大事ですが)。

 

 若者にとって魅力がないということは、党の未来を支えられないということです。高齢者中心の読者が次第に減っていくが、若者の読者は増えていかないという構造が続けば、電子版もやがては危機に陥っていくでしょう。この構造は、「赤旗」の問題というよりも、党がどのようにして国民との結びつきを強め、再生産しながら大きくなっていけるのかという問題にもつながっています。

 

 赤旗」をネット化するなら、ネット化によって党活動のあり方そのものも変えていくような、大胆な改革が必要です。二つの方面での改革が不可欠だと私は思います。

 

●調査報道に特化して「赤旗」らしさで勝負するようにする

 

 一つ。「赤旗」日刊紙は、調査報道に徹するネット版情報紙として生まれ変わるべきです。

 これまでも「赤旗」報道が評価されてきたのは、調査報道の分野です。綱領という独自の視点をもって取材するのですから、他紙では見抜けないことを報道できる可能性があるのです。記者全員がその気持ちで取材にあたれば、質も量も現在の比ではない水準になるでしょう。 

 

 なお、独自の視点をもっているということは、ある仮説を立てて取材し、その仮説にそった報道をするということになりがちです。それが当たった場合は、他紙ではできないと評価されますが、逆に独り善がりになることもあります。そうならないよう、取材でつかんだ事実と独自の視点との間に矛盾があるのなら、事実を優先させるべきです。それがジャーナリズムの使命であり、綱領の視点を豊かにすることにもつながります。

 

 これは別の視点から見ると、日刊の新聞の慣例にしばられず、その日に起こったことを必ず次の日の紙面で報道しなければならないという制約から自由になるということです(毎日の刊行という形式はとらず、随時アップする)。記者は時間をかけて取材し、まとまった記事を発信するようにするのです。

 

 かなり以前、「一紙で間に合う赤旗」というスローガンがあり、日刊紙は一般紙に対抗して政治から経済、国際、文化、スポーツなどの全分野にわたり、次の日に報道することを原則としてきました。その一環として株価も報道することさえ検討されたことがあります。しかし、そういうやり方を継続していこうとすれば、記者の人数も大幅に確保しなければなりませんし、時間と労力をとられてしまいます。くわえて、事実の報道ということなら、もはやネットや他紙に勝つことはありません。例えば岸田首相の襲撃事件などにしても、その場からネットで出回っているので、翌日の「赤旗」に載っても、もはや「新聞(新しく聞く)」本来の価値は有さないのです。そこは割り切るべきです。

 

 「赤旗」なりの視点での報道があるはずだという反論は出てくるでしょう。そういうものは存在するし、どうしても翌日に報道することが不可欠なら、やってもいいとは思います。とはいえ、独自の視点というのも、時間をかけて調査することで、より深まることはあるのですから、必ず翌日に記事化することに力点をおくべきではないと思います。

 

 スポーツや文化なども同じ視点に立つことが可能です。プロ野球の毎日の結果を「赤旗」で報道する必要はありません。そういうものではなくて、スポーツのすばらしさを報道するために、例えば一人の選手につきっきりになって取材し、それをまとめて報道すれば、一般紙ではないものが得られるでしょう。国民運動面も、この団体がこういう取り組みをしましたなどの記事は、団体ごとに通信員を置いて、その人に記事をアップする権限を与えるようにしておけばいいのです。記者やるべきことは、運動を広げる上で大事な経験などをたんねんに取材して、誰もが納得できる記事を書くことです。さすがにテレビラジオ欄の記者は残せないかもしれませんが、文化欄と統合して芸能分野を担うことは可能でしょう。デスクや校閲部も不可欠です。(続)