中祖寅一様

 

 トロツキーは共産党の指導者として優れた能力を有していたと思います。しかし、そのトロツキーにしたところで、外国にいながら、その外国の権力と結びついて、ソ連の「重要な機構のすべて」を支配するだけの力を持っているなんて、誰が考えても「妄想」の類でしょう。

 

 ところがスターリンは、そのやり方に固執し、推し進めたわけです。なぜそんなことをしたのか、スターリンの思考方法になじみのない私には、想像することもできません。

 

 しかし、結果から見て明らかなことは、このようなやり方をすることによって、ソ連共産党はようやく私たちの知るソ連共産党になったというか、スターリン率いる党にふさわしい党になったということです。理論や政策をめぐって活発な討議を行い、きびしい相互批判や自己批判はあったし、間違いもたくさん犯したけれども、それなりに活気に満ちていたレーニン時代の要素はあとかたもなくなり、専制主義に満ちた上意下達の党に成り下がったことです。

 

 これは当然のことです。だって、綱領や規約の内容が正しいか間違っているかなどを議論している内は、あくまで理論的な問題であって、それを通じて議論した人の認識が深まり、間違いが正されていく可能性があります。議論を通じて仲間内の連帯感も芽生えるでしょう。しかし、党員が「権力」と結びついていることを「論証」して裁く方法をとってしまったら、もはや議論は成り立ちません。議論はしないで、しかし結論は出てしまうやり方です。党内では理論は疎まれ、幹部も理論を学ぼうとせず、敵か味方かしか存在しない殺伐とした世界ができてしまうのです。

 

 というか、スターリンはおそらく、そういう党を作りたかったのだと思います。党員が疑問を持たないように、疑問を持ってもオモテに出さないように、こんなやり方をすることにしたのでしょう。そこには党の将来をどう豊かなものにするかとか、党員の権利をどう尊重するかとか、そんな思考はみじんも存在していません。ただただ自己の権力を維持し、永続化するための手段として、放逐した党員(トロツキー)が権力と結びつき、党内に影響を与えようとしているとして、党員を裁判にかけていったのです。その結果、スターリン型の党が生まれ、党からは理論も同志的な関係も失われ、ただただスターリンの専制権力を支えることを目的化する党となり、結局は崩壊することになってしまった。

 

 その同じやり方を、この日本で、私が愛する共産党が再現しようとしていることには、本当にびっくりします。不破哲三氏は、1961年の古い綱領と規約のままでは、そういう事態が起きることを予測したのだと思います。だから、2000年に新しい規約を、2004年に新しい綱領を制定し、「新しい綱領には、61年以来の党の理論的発展のすべてを盛り込みました。そして、われわれが半世紀にわたって取り組んできたこの仕事は、スターリン時代の中世的な影を一掃」するものだったのだと誇りました(党創立90周年記念講演)。

 

 ところが、それをいいことだと思えないのが、いまの党指導部なのだと思います。私が書いた本のタイトルすら一度も「赤旗」に載せず、実際に書いていることも党員に知らせないため引用すらしないまま、権力との結びつきを証明しようと躍起になっている。そして、その理論的な根拠となる「スターリン時代の中世的な影」が残った古い綱領(すでに廃止されたのに)を天まで持ち上げている。

 

 党指導部がそういう気持ちなら、私にはそれを阻止する手だではありません。こうやってスターリン型の党が完成していくことを、外から苦々しく思って眺めているしかない。仕方がありませんね。

 

 中祖さんは、志位氏の自衛隊活用論や政権時の自衛隊合憲論を、正直に「赤旗」に引用して紹介してきた唯一の人です。他の並み居る党幹部は、中央委員会などの会議では志位氏の提起に賛成を投じつつ、心の中では活用論や合憲論を支持していなかったので、誰も自分の言葉でそれを語ろうとしませんでした。あなたは他の幹部と異なり、本当に党指導部に忠実な人なのです。

 

 しかし、その忠誠心を発揮して、今回のようなやり方をするならば、自分がスターリン流の党運営を日本共産党に持ち込む急先鋒になるであろうことは、率直に自覚してほしいと思います。あなたの人生は、日本共産党をスターリン共産党と同列のものにするために費やされたということが、次の党史には刻まれるでしょう。スターリン型に転落した党が次の党史を準備するまで生き永らえるとしてのことですが。

 

 以上で前置きは終わりです。続いて、私と権力の結びつきという、あなたの発言の本題に移っていきましょう。土日はあなたの心の平穏のために別の記事を書きますので、再開は週明けです。(続)