中祖寅一様

 

 昨日のメールの最後にこう書きました。

 

「党員の誰かを排除しようとする場合、その党員と権力の結びつきをでっち上げるやり方は、除名劇で彩られてきた世界の共産党の歴史のなかでも、かなり稀有なことです。最初にそういうやり方が取られたのは、詳しくは明日から書きますが、スターリン時代でしょう。スターリンのやり方が、100年を経て、ユーラシア大陸をも越えて、中祖さんの手で日本の共産党に再現される時代が来るなんて、どう表現したら私の驚きをお伝えできるのか、さっぱり分かりません。」

 

 そうなのです。1960年代に部分的核実験停止条約をめぐって志賀義雄などが除名された際は、国会での採決に当たって党の態度とは異なる態度をとったことが問題になりました。70年代のいわゆる新日和見主義問題でも、党の方針に反した行動をとったり、党に隠れて分派をつくったのではないかが問題になりました。いずれも、処分された人と「権力」の結びつきなど、まったく問題になっていませんでした。1977年に除名された袴田里見も、党からは「反共毒素」などという汚い言葉を投げかけられましたが、権力との関係が問題にされることはありませんでした。

 

 私の場合、すでに除名されているのですから、もう共産党の目的は達成されているはずです。それなのになぜ、私と「権力」とのつながりを「証明」するため、何人もの専従者の集団(「松竹チーム」と呼称されているそうです)をつくる必要があるのでしょうか。

 

 私は除名の撤回を求めて次期党大会に再審査を求めますが、私の復党を認めたくないなら、大会での再審査の場で、党中央が除名の理由とした「綱領と規約への違反」「分派」だという認定が正しいことを論証し、もちろん私の意見表明も聞いた上で却下すればいいだけのことです。大会代議員の多数を占めるのは、党から給与を得ている専従か、党の公認がないと当選しない議員ですから、どんなにがんばっても私の支持は限られています。それなのに、なぜ、除名された人間のありもしない「権力」との結びつきを探り、公開し、全党の「確信」にしなければならないのか。

 

 それはおそらく、綱領や規約をめぐる私の主張と立場が、党員と大会代議員に少しであっても浸透することへの恐れがあるからでしょう。大会で堂々と議論しても、代議員に心の底から納得してもらえないかもしれない、それどころか一部ではあれ、あるいは一人ではあっても、私の支持者が党大会で反旗を翻すかもしれないという恐れです。だから、代議員の100%を党中央に従わせるためには、私が「権力」と結びついている証拠を示したいと思っているのでしょう。

 

 もし、私の観測が正しいなら、そういう発想そのものが、スターリン由来です。私に対して使われている「党破壊者」とか「党かく乱活動」という用語もスターリン由来のもので、なぜそんな用語や手法を日本共産党の幹部が平気で使えるのか、なぜ誰一人としておかしいことだと思わないのか、さっぱり理解できません。放逐した元党員と「権力」とのつながりといういうまでの概念は、ソ連の大量虐殺を可能にしたほど深刻なものであり、正常な感覚が残っていれば使うこと自体が憚られるものです。

 

 スターリンは、専制体制を確立する過程で、少なくない同志を裁判にかけ、死に追いやりました。その裁判でやられたことは、その同志が党の綱領と規約に違反しているとか、ソ連の法律に反した行動をしたということの「証明」にとどまりませんでした。ソ連の外に追放したトロツキーが、外国の「権力(元首、大臣、元帥、大使)」を服従させて策動し、ソ連共産党内にトロツキストを育成してソ連の「重要な機構」を支配したことを「証明」してみせました。

 

 党外に放逐したはずの人間が、「権力」と結びついて党内に影響力を及ぼしているというスターリンの認定と、あなたの9中総での発言は、まったく軌を一にしています。この裁判で殺されたブハーリンの裁判記録を読んだトロツキーは、こう述べています(鹿砦社『ブハーリン裁判』所収のトロツキー「反対派ブレティン」p.200-201より)。

 

「この犯罪行為〔ソ連国家を転覆させる犯罪〕において、〔外国の〕元首、大臣、元帥、大使らは確実に一個人〔トロツキー〕に服従した。公的な指導者では決してなく、追放された一人に。トロツキーは指を鳴らすだけで十分であった。…しかしここに困難な事が起こる。…私〔トロツキー〕に従っているトロツキストたちによってこの重要な機構のすべてが支配されているとしたら、そのような場合に、なぜスターリンがクレムリンに居り私が追放されているのか。」(〔〕内は引用者。続)