四、復党して党首公選が実施されたら、立候補して訴えたい問題

1、現綱領と現規約を党活動に素直に反映させる党改革を

●綱領では第一段階と第二・第三段階の関係を整理すればいい(了)

●第一段階にふさわしい政策と党活動は「一三〇%の党づくり」に欠かせない(了)

 

●民主集中制は規約通りに運用する──異論を尊重する党運営

 

 規約に関して言えば、改革すべき事項は山積しています。二〇〇〇年に新しい規約ができたのに、実際には一九五八年の規約がまかり通っているような事態があちこちに見られ、党の活力を削いでいるからです。とはいえ、改革すること自体は、そう難しくありません。目の前には新規約が存在しているので、規約に書いてもいないことを「これが規約の精神だ」と押し付けるのではなく、規約に書かれた通りの党運営をすればいいだけだからです。

 

 例えば、民主集中制について、古い規約は「党の上に個人をおいてはならない」など、個人の人権と矛盾する条項がありましたが、そういう考え方は一掃されました。現行規約で民主集中制と言われているのは、以下の五つだけです。

 

(一)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。

(二)決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。

(三)すべての指導機関は、選挙によってつくられる。

(四)党内に派閥・分派はつくらない。

(五)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 

 民主集中制がここに書かれている通りのものであれば、それをどう解釈するかという問題を脇に置いてみると、私には当然のことだと思われます。ところが現在、ここに書かれてもいないことが、あたかも民主集中制の大事な原則であるかのように運用されている面があります。

 

 代表的なもので言うと、党員同士が支部を超えて連絡を取り、意見を交換することが禁止されていることです。そのような考え方がまかり通っているのは、四つ目で派閥・分派が禁止されていることが根拠になっていると思われます。しかし、規約で禁止されている派閥・分派とは、現状ではどこにも明示されていませんが、すでに述べてきたように、党の綱領とは異なる「特定の政綱」を持つグループのことです。その種のグループが形成されることを恐れるあまり、党員同士が連絡を取り合うことを禁止してしまっては、党員の活発な議論そのものを抑え込むことになります。

 

 誰もが日常の経験から感じることですが、経験や考え方の異なる人との議論があってこそ、政策や方針は発展します。何年何十年と同じ支部に属する党員だけと議論するのでは、議論の効果は発揮されません。党の政策や方針を豊かに発展させるためにも、所属する支部を超えて議論することを原則とし、それが綱領に反対する政綱づくりに発展するような場合にだけ例外的に禁止することにすべきです。

 

 党内の少数意見を尊重するシステムも構築すべきです。民主集中制の五つの原則の冒頭に「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」とあるのは、きわめて重要です。「最終的には多数決で決める」ということは、党内には少数意見が存在して当然であることが前提とされています。少数意見の尊重は、民主主義の基本ですから、それにふさわしい党運営を行わなければなりません。

 

 すぐに思いつくのは、党の会議のあり方です。方針を提起したら、疑問点や異なる意見がないかを、まず参加者にていねいに問いかけるべきでしょう。その上で、異なる意見が出てくれば、その意見に根拠がないかを議論するのです。意見が出つくしたら採決することになり、異なる意見を出した人も、多数意見に従うことになります(提起した方針が覆れば、当初の少数意見が多数意見に変わる)。

 

 少数意見の存在が民主集中制の前提になっていることは、少数意見が常に尊重されるべきことと一体です。例えば、機関の役員も同じ意見の人だけで構成するのではなく、少数意見の人も含まれるようにしたり、支部から上級の党会議に代表を出す場合も、少数意見の人が参加できるよう、最大限の配慮をすべきです。国民との関係でも、各種の問題で党の政策は多数決で決定したものだが、少数意見として別の政策を提示する人もいることは、堂々と明らかにしたほうがいいと思います。それが国民に近い党になるうえで不可欠です。

 

 現在の党運営は、いま提起したものとは異なってはいます。しかし、規約のどこを見ても、提起したものを禁止するような条項はないのですから、規約の精神に反するものではありません。それどころか、9中総でも強調された「循環型・双方向」の党運営であり、規約の精神に合致したものだと思います。(続)