8月に除名の再審査を求めて記者会見を行いましたが、記者の質問に答えた部分のうち、党とのこの間のやり取り、なぜそれほど復党したいのかという問題に限ってYouTubeにアップしました。チャンネル登録の上、ご視聴下さい。

三、規約を理解せず、踏みにじっているのは、除名した党の側である

1、言ってもいないこと(=「異論を許さない党」)を処分の理由にできない

2、私はいかなる意味でも「分派」を形成したことはない

3、分派を禁止する規定は旧規約には存在したが現行規約からは外された

4、内部で意見をあげるのは義務ではなく権利であり、反しても処分の対象にならない

5、党の内部問題と党外での意見発表、党首公選の問題をめぐって

6、規約にもとづく処分をしながら関連用語の定義を示さないのは許されない

 

5、党の内部問題と党外での意見発表、党首公選の問題をめぐって(承前)

 

 なお関連して、党首公選の是非について、一言だけふれておきます。「処分通知書」が「『党首公選制』という主張は、『党内に派閥・分派はつくらない』という民主集中制の組織原則と相容れないものです」と述べている問題です。

 

 私が党首公選を主張するまで、この問題についてほとんど検討もしたことがなかった共産党は、その後突如として、これを否定する山のような論文を出すようになりました。検討したこともない問題だけに、主張の根拠も十分に示されておらず、論理も練られたものではありません。

 

 先ほど「分派」を論じたところで述べたように、分派をつくらないことは、確かに民主集中制の大事な原則です。私が提唱しているのも、党首公選の実施が分派の形成につながるようなことがあれば、党内に存在する異論を議論するのは公選期間中に止め、通常の時期には拡大しないことです。

 

 ただ、分派というのは、路線上、政策上の重大な意見の違いがあれば、どの場合にも形成され得るものであり、党首の選出方法が現行方式か公選かには関係がありません。大会で選出された中央委員会が党首を選ぶ場合でも、中央委員は立候補することが制度上可能であり、立候補すれば自分の路線、政策への支持を他の中央委員に求めることになります。党首公選の場合は、訴える相手が全党員に広がるというだけの違いです。それなのに、選出母体が中央委員の場合は分派はつくられず、党員の場合は分派になるというのでは、党員への信頼を欠くものではないでしょうか。

 

 五〇年問題で分裂したことを党首公選を否定する根拠にする人もいますが、党首公選を一度も実施したわけでもないのに、根拠にはなり得ないでしょう。それよりも五〇年問題の教訓で大事なことは、第一に党中央でさえ重大な誤りを犯す場合があるということであって、現在の党中央もそうした自覚をもって活動することが欠かせないことです。第二に、そうした誤りを克服するため、当時は綱領路線を決めるために特別の討論誌までつくって全党員に寄稿を呼びかけるとともに、前述した通り、不破哲三氏や上田耕一郎氏などが党外でも綱領路線を論じるなど、活発な議論が行われたことです。どんなに「一三〇%の党づくり」を呼びかけても目標が達成できないどころか、どんどん党勢が後退していく党の現状を見ると、現在の党にもそれくらいの規模の討論が求められていると思います。

 

 すでに引用しましたが、規約で定められた民主集中制の第一の原則は、「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」ということです。「多数決で決める」ということは、党内には常に主流派の意見と少数派の意見があることを前提としているのです。そういう異なった意見を闘わせる機会として、党首公選は絶好の機会になるし、規約の精神に合致しているのではないでしょうか。(続)