三、規約を理解せず、踏みにじっているのは、除名した党の側である

1、言ってもいないこと(=「異論を許さない党」)を処分の理由にできない

2、私はいかなる意味でも「分派」を形成したことはない

3、分派を禁止する規定は旧規約には存在したが現行規約からは外された

4、内部で意見をあげるのは義務ではなく権利であり、反しても処分の対象にならない

5、党の内部問題と党外での意見発表、党首公選の問題をめぐって

6、規約にもとづく処分をしながら関連用語の定義を示さないのは許されない

 

5、党の内部問題と党外での意見発表、党首公選の問題をめぐって

 

 「通知書」などが私の行為を規約違反だとしたのは、第五条「党員の権利と義務」のうち、「中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」(六項)という党員の権利のところではなく、義務にかかわる箇所も含まれます。例えば、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(五項)、「党の内部問題は、内部で解決する」(八項)などです。これらが根拠となるなら、たしかに「義務」を定めた条項とみなすことができますし、それに反する行為を私が行ったなら、規約違反を問われることはあり得るでしょう。

 

 しかし、規約のこの条項の内容も、旧規約と比べて見ると、大きく変貌していることが分かります。一方の旧規約では、「党員の義務」のところで、次のように規定されていました。

 

「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない。」

 

 他方、現行規約は、「党の内部問題は、内部で解決する」となっています。旧規約の「党外にもちだしてはならない」という禁止規定がまるごと削除されているのです。もはや「(内部問題を)党外にもちだしてはならない」という禁止規定は通用していないのであって、この変化の意味をよく考えなければなりません。

 

 しかも党首の選出方法は、共産党を除く政党が党員参加の選挙で社会の耳目を集めるもとで重大な政治社会問題となっており、内部問題という要素があるとしても、党員の意思表示を制約するほどのものではないと考えます。ましてや、旧規約の「党外にもちだしてはならない」規定が削除されているのですから、党首公選という私の見解を党外出版物で論じることは規約違反に当たるとは思いません。

 

 一方、私の行為は、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という観点からはどう捉えるべきでしょうか。二つの点から、やはり私を処分する根拠にはなりません。

 

 一つは、この規定も、「もちだしてはならない」という禁止規定ではなく、「しない」という訓示規定に変わっていることです。禁止規定を維持するなら、「してはならない」とするべきだったでしょう。

 

 もう一つは、「もちだしてはならない」問題が、旧規約では「内部問題」一般だったのに、現行規約では「党の決定に反する意見」だけに限定されたことです。もし党首公選は間違いだということが「党の決定」になっていたら、私は「決定に反する意見を、勝手に発表」したとして、規約違反に問われても仕方ないでしょう。けれども、私が党首公選を主張して以降、それを否定する山のような論文が「赤旗」にあらわれ、中央委員会総会でも確認されたりしましたが、それ以前すなわち私が主張を最初にした時点では、いかなる意味でも決定にはなっていませんでした。党綱領や規約に書かれているわけでもないし、大会や中央委員会の決定にもなっていません。

 

 私が『シン・日本共産党宣言』を刊行する半年ほど前(二二年八月二四日)、「赤旗」に「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か」という論文が掲載され(日本共産党中央委員会党建設委員会)、「革命政党」だから党員が党首選挙で投票するやり方はとらないと「解明」しましたが、「革命政党」だから党員の党首選挙の参加はできないという、意味不明の内容でした。しかも、この論文はその後、中央委員会総会でオーソライズされてもいませんので、党首公選否定論は当時、いかなる意味でも「決定」ではありませんでした。

 

 もしこれを「決定」とみなし、私が決定に違反する内容の本を出したことが規約違反だというなら、民主集中制が第一要件として求める「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」(規約第三条一項)という原則を踏み外したものです。民主集中制と党規約に違反しているのは党の側だと言わなければなりません。

 

 私の行為は、この点から見ても、規約違反に当たりません。ただちに撤回してください。(続)