二、安保・自衛隊問題での私の主張は旧綱領に反するが新綱領には合致する

1、志位委員長の安保・自衛隊問題の努力を実らせることが除名になる不思議

●志位氏による自衛隊活用論と日米安保条約第五条発動論の提起

●自衛隊合憲論でも志位氏は大胆に踏み込んだ

●志位氏と私の提唱の異なる点は除名に値するほどのものか

●再審査で除名を正当化するなら志位氏の反省と著作の撤回が不可欠となる

2、新綱領の安全保障の考え方は、旧綱領とは本質的に異なっている

●志位氏の踏み込みには綱領上の根拠があった

●「平和の社会主義を侵略するための安保条約」は成り立たなくなった

●帝国主義に対する見方が旧綱領と現綱領では根本的に異なる

●新綱領にもとづく創意的な発展が求められている

 

2、新綱領の安全保障の考え方は、旧綱領とは本質的に異なっている

 

●帝国主義に対する見方が旧綱領と現綱領では根本的に異なる

 

 以上のような綱領の世界観の変化は、ただ社会主義を掲げる国の問題点をふさわしく位置づけ、帝国主義と同列に位置づけたという程度のことではありません。帝国主義そのものの位置づけも、二〇〇四年の綱領改定で大きく変わることになります。

 

 旧綱領のベースになったのがレーニンの『帝国主義論』だったことは紹介しました。この著作は『帝国主義論』というタイトルで通用していますが、正式名称は『資本主義の最高の段階としての帝国主義』です。そのタイトルが示すように、資本主義は発達していってやがて最高の段階としての独占資本主義に達し、そうなると帝国主義となって世界中を植民地として獲得しようとして競争するので、帝国主義同士の戦争は避けることのできないものだという主張が基調となっています。

 

 この著作が書かれた背景にあるのは、第一次大戦が勃発すると、当時の世界の共産主義運動のなかで中心を占めていたドイツ共産党(当時は社会民主党)が、自国の戦争を「祖国擁護」のスローガンで支持するようになったことがあります。レーニンはそれを厳しく批判します。他方、ドイツ共産党のカウツキーは両者の仲介を試み、帝国主義による戦争を批判しつつも、帝国主義戦争は列強の「政策」なので避けることができると主張します。これに対してレーニンは、独占資本主義段階における列強の戦争は、政策ではなく帝国主義となったことの必然の結果であり、避けることのできないものだと反論するのです。そして、帝国主義の戦争が必然だということは、外交交渉や人民の運動で変えられるようなものではないということであり、戦争を避けるためには帝国主義を打倒するしかないというのが、『帝国主義論』の真骨頂なのでした。

 

 その考え方が、戦後の日本共産党にも受け継がれます。アメリカの直接占領下で、野坂参三などが「占領下の平和革命」を提唱すると、宮本顕治らがそれを強く批判します(かといって暴力革命を主張したのではなくアメリカ帝国主義を追いだすことを主張)。五〇年問題もからんで複雑な経緯を辿りますが、レッドパージなども体験することにより、占領が終了したあとも、アメリカ帝国主義は交渉や話し合いで変えられる相手ではないという認識が確立し、その認識のもとに旧綱領が制定されることになります(これは「敵の出方論」とも関係しており、本請求書では四で扱われる)。

 

 二〇〇四年の綱領全面改定によって、綱領には「世界の構造変化のもとで、アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われている」という規定が盛り込まれました。その意味について、不破哲三委員長は大会への報告で次のように述べています。これはアメリカ帝国主義に対する認識を根本的に変えたことを意味しています。

 

「かりに、いまの世界で、『帝国主義』とは、経済が独占資本主義の段階にある国にたいする政治的な呼び名だというだけのことだとしたら、いくら『帝国主義』といっても、その言葉自体が政治的告発の意味を失い、そう呼ばれたからといって誰も痛みを感じないということになるでしょう。

 もうひとつ大事な点は、この問題は平和のためのたたかいの目標と展望にかかわってくるということであります。レーニンの時代には、人民の闘争や情勢の変化によって、独占資本主義の国ぐにに植民地政策を放棄させたり、独占資本主義体制のもとで帝国主義戦争を防止したりすることが可能になるなどとする考え方は、帝国主義の侵略的本性を理解しないものと批判されました。実際に当時は、こんなことは実現不可能な課題だったからであります。

 現代は、まさにその点で情勢が大きく変化しました。たとえば改定案は、『民主的改革』の方針の『国の独立・安全保障・外交の分野で』のところで、八項目の平和外交の方針を提起しています。その大部分は、レーニンの時代だったら、独占資本主義のもとで非帝国主義的な平和政策を夢見るものとして扱われたであろう課題であります。しかし現代では、これらの課題は、国際的な平和・民主運動のなかでも、実現可能な課題として、追求されているのであります。」

 

 いまのアメリカに対してレーニン時代と同じような捉え方をしていたら、日本を「重要拠点」とするアメリカの行動、政策を変えさせるなど「夢物語」だったのです。「しかし現代では、……実現可能な課題」となった。それが現行綱領の考え方なのです。

 

 それならば、第二〇回大会が提起した「日米安保条約廃棄前の段階」において、「実現可能な課題」を提起すべきではないでしょうか。アメリカの行動と政策に変化をもたらすような政策提言を、共産党としても行うべきではないでしょうか。(続)