9月5日に「安全保障を原論から考える」の講義を生中継しましたが、その際、プライバシーの観点から質疑応答部分は中継しませんでしたので、大事だと思った部分を改めてお話ししました。チャンネル登録の上、ご視聴ください。

 

二、安保・自衛隊問題での私の主張は旧綱領に反するが新綱領には合致する

1、志位委員長の安保・自衛隊問題の努力を実らせることが除名になる不思議

●志位氏による自衛隊活用論と日米安保条約第五条発動論の提起

●自衛隊合憲論でも志位氏は大胆に踏み込んだ

●志位氏と私の提唱の異なる点は除名に値するほどのものか

●再審査で除名を正当化するなら志位氏の反省と著作の撤回が不可欠となる

2、新綱領の安全保障の考え方は、旧綱領とは本質的に異なっている

●志位氏の踏み込みには綱領上の根拠があった

●「平和の社会主義を侵略するための安保条約」は成り立たなくなった

●帝国主義に対する見方が旧綱領と現綱領では根本的に異なる

●新綱領にもとづく創意的な発展が求められている

 

2、新綱領の安全保障の考え方は、旧綱領とは本質的に異なっている

 

●「平和の社会主義を侵略するための安保条約」は成り立たなくなった

 

 共産党にとって、あるいは共産主義、科学的社会主義の学説にとって、長らくこの問題での回答を与えてきたのは、レーニンの『帝国主義論』でした。レーニンは、自分の目の前で勃発した第一次世界大戦を分析しましたが、その結論は、資本主義が高度に発達して帝国主義となることで、世界のあらゆる地域を植民地として支配しようとしており、そうした帝国主義国同士の領土のぶんどり合戦が戦争の原因となっているというものでした。

 

 第二次世界大戦は、そういうレーニンの理論の枠組みとは異なり、同じ帝国主義であっても、領土を拡張しようとするドイツや日本に対して、領土の不拡大を唱えるアメリカ、イギリスなど連合国が対峙することになります。しかし、社会主義国ソ連が連合国側に加わったことにより、社会主義の誕生が帝国主義に分断をもたらしたと説明できましたし、第二次大戦後の米ソの対決と冷戦の発生を帝国主義による社会主義抹殺の攻撃と描くことによって、『帝国主義論』の理論的枠組みが維持されることになります。 

 

 旧綱領の世界観は、『帝国主義論』をベースとしつつ、アメリカ帝国主義は世界で侵略戦争を行う勢力であり、それに対して平和勢力である社会主義が対抗しているという考え方に彩られていました。そして、社会主義がやがては帝国主義を凌駕していき、世界の平和が達成されるというものでした。次の記述からも明らかでしょう。

 

「帝国主義の侵略的本質はかわらず、帝国主義のたくらむ戦争の危険はいぜんとして人類をおびやかしている。これにたいして、社会主義陣営は、民族独立を達成した諸国、中立諸国とともに世界人口の半分以上をしめる平和地域を形成し、平和と民族解放と社会進歩の全勢力と提携して、侵略戦争の防止と異なる社会体制をもつ諸国家の平和共存のために断固としてたたかっている。世界的規模では帝国主義勢力にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますますあきらかになっている。」

 

 日本が戦後、日米安保条約を結んだのも、アメリカ帝国主義がソ連や中国など社会主義に対抗して世界を支配するためというものでした。そのために日本を「重要拠点」とすることが必要だったので、日米安保体制が発足したというのが、旧綱領の認識でした。

 

「中国革命の偉大な勝利、世界と日本の平和と民主主義と社会主義の勢力の前進に直面して、アメリカ帝国主義は朝鮮にたいする侵略戦争をおこないながら、日本をかれらの世界支配の重要拠点としてかためるみちをすすんだ。そしてアメリカ帝国主義は、かれらの目的を達するために、あたらしい手段をとった。一九五一年、アメリカ帝国主義と日本の売国的独占資本の共謀によって、ソ連邦や中華人民共和国などをのぞきサンフランシスコ『平和』条約がむすばれ、同時に日米『安全保障』条約が締結された。」

 

 この綱領規定には、朝鮮戦争をアメリカによる侵略と描くなど、現時点から見れば大きな誤りもありました(のちに改定)。しかしこうした旧綱領の世界観は、一九七〇年代までは、大局的に見てかなり通用していたと思います。当時、世界の大問題はアメリカ帝国主義が社会主義をめざすベトナムを侵略していることであり、帝国主義と社会主義の対比を鮮やかに描く世界観が通用していたという側面があるからです。

 

 しかし一方で、ソ連によるチェコスロバキア侵略(六八年)、アフガニスタン侵略(七九年)など当時から社会主義には重大な問題がありました。中国もベトナムを侵略し(七九年)、その口実となったベトナムのカンボジアに対する侵攻と支配は、七九年から八九年まで続くことになります。

 

 こうした誤りをくり返した結果、一九九一年、ソ連共産党が解散し、ソ連も崩壊することになります。日本共産党はこれを「巨悪」の解体として歓迎しました。

 

 共産党はこれら社会主義国の誤りに対して、現実政治で適切に対応したと思います。誤りを黙って見過ごすことはなく、厳しい批判を貫きました。

 

 しかし、旧綱領の世界観それ自体は見直しを余儀なくされます。アメリカ帝国主義が平和の社会主義を侵略し世界を支配することを企んでおり、その目的達成のために日本を「重要拠点」とする必要があるので、日米安保条約が存在するという世界観です。これは、ソ連などの社会主義を守ることが平和を保障するという、スターリン的な考え方にもとづくものでした。その社会主義がもはや平和勢力というものではなく、「巨悪」になったのですから、「社会主義を侵略するための日米安保条約」という捉え方も、そのままでは済まされないのです。

 

 二〇〇四年に全面改定された綱領は、そうした世界観の是正を志向したものであり、次に述べるように、一方ではアメリカ帝国主義の評価についてはかなり踏み込むことになります。他方、中国を「社会主義をめざす国」として肯定的に評価するなど、大きな問題を抱えるものになりましたが、それも二〇二〇年の第二八回大会における綱領一部改定によって是正されることになります。

 

 現綱領では、中国を念頭において「大国主義・覇権主義」と位置づけ、「アメリカと他の台頭する大国との覇権争いが激化し、世界と地域に新たな緊張をつくりだしている」と規定しています。大事なことは、「世界と地域に新たな緊張をつくりだしている」要因について、アメリカと他の大国との「覇権争い」としていることです。つまり、アメリカに主要な責任があるかのような描き方はせず、責任の重さに区別をつけていないのです。

 

 こうした世界観の変化のなかで、日米安保条約をどう位置づけていくのか。志位氏が安保条約第五条の発動を肯定的に捉えたこともふまえ、新しい認識が求められていると思います。(続)