二、安保・自衛隊問題での私の主張は旧綱領に反するが新綱領には合致する

 

1、志位委員長の安保・自衛隊問題の努力を実らせることが除名になる不思議

●志位氏による自衛隊活用論と日米安保条約第五条発動論の提起

●自衛隊合憲論でも志位氏は大胆に踏み込んだ

●志位氏と私の提唱の異なる点は除名に値するほどのものか

●再審査で除名を正当化するなら志位氏の反省と著作の撤回が不可欠となる

2、新綱領の安全保障の考え方は、旧綱領とは本質的に異なっている

●志位氏の踏み込みには綱領上の根拠があった

●「平和の社会主義を侵略するための安保条約」は成り立たなくなった

●帝国主義に対する見方が旧綱領と現綱領では根本的に異なる

●新綱領にもとづく創意的な発展が求められている

 

1、志位委員長の安保・自衛隊問題の努力を実らせることが除名になる不思議

 

●志位氏による自衛隊活用論と日米安保条約第五条発動論の提起

 

 志位氏が安保・自衛隊問題で、それまでと異なる主張を開始したのは、二〇一五年以来のことです。この年、集団的自衛権を一部容認する新安保法制に反対する野党と国民の闘いにもかかわらず同法制が成立することになりましたが、これをふまえて共産党の志位委員長が、新安保法制の撤回を一致点とする野党の国民連合政府の構想を提唱したことがきっかけでした。安保条約と自衛隊という基本政策の問題での違いを無視し、野党の政権を実現することは不可能でしたから、そこに共産党として大胆なアプローチが必要だと判断したのだと思います。私は一貫してその判断を支持してきました。

 

 まずは連合政府提唱の直後のことです。志位氏は、外国特派員協会で次のように述べ、自衛隊活用論を一〇年ぶりに復権させました(二〇一五年一〇月一五日。「赤旗」同一七日付)。

 

「つぎに『国民連合政府』が安全保障の問題にどう対応するかというご質問についてです。……すなわち戦争法廃止を前提として、これまでの条約と法律の枠内で対応する、現状からの改悪はやらない、政権として廃棄をめざす措置はとらないということです。

 戦争法を廃止した場合、今回の改悪前の自衛隊法となります。日本に対する急迫・不正の主権侵害など、必要にせまられた場合には、この法律にもとづいて自衛隊を活用することは当然のことです。」

 

 先ほど「一〇年ぶりの復権」と述べたのは何か。じつは、党本部の政策委員会で安全保障や外交を担当していた私は二〇〇五年、共産党の月刊誌の一つである『議会と自治体』(四月号)に、「九条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」というタイトルで論文を発表しました。共産党九条を堅持し自衛隊を将来的には解消すると明言していること、同時に当面は侵略されたら自衛隊を活用すると明言していることを指摘しつつ、理想にも現実にも対応している共産党は護憲運動のなかで重要な役割を果たせることを論じたものでした。しかし、それに対して志位氏より、自衛隊に対する共産党のスタンスの基本は活用ではなく「反対」であるとの指摘があり、自己批判を迫られました。最終的には、「自衛隊活用論」の間違いを認めよという求めに私が同意しないことは許容され、論文のなかで自衛隊を違憲だと明示していなかったことに限って自己批判を公開することになります。

 

 この問題をきっかけにして、私は退職することになります。しかしそういう経過があったので、志位氏が自衛隊活用論を復権させたことは、私にとってうれしいことでした。

 

 自衛隊問題だけではありません。この記者会見で志位氏は、日米安保条約の問題でも次のように述べることになります。

 

「〈記者〉「国民連合政府」で、(日本有事のさいには)自衛隊を出動させるということでしたが、(同様の場合に)在日米軍への出動要請についてはどうするのでしょうか。共産党は反対するということでしょうか。」

 〈志位 〉「国民連合政府」の対応としては、日米安保条約にかかわる問題は「凍結」するということになります。先ほど述べたように、戦争法廃止を前提として、これまでの条約の枠内で対応することになります。日米安保条約では、第五条で、日本に対する武力攻撃が発生した場合には(日米が)共同対処をするということが述べられています。日本有事のさいには、連合政府としては、この条約にもとづいて対応することになります。」

 

 この志位発言が掲載された「赤旗」に目を通した時、正直に言って、天地がひっくりかえるほどの衝撃を受けました。先ほど紹介したように、私はその一〇年前まで党本部で安全保障の担当者であり、侵略されたら自衛隊を活用する方針を堅持すべきだと考えていました。同時に、その際に日米安保の発動を容認するかどうかについては、現実を考えると否定できないだろうと心のなかでは思っていましたし、あとで述べるように二〇〇四年の新綱領のもとではその決断は可能だろうと想定はしていました。しかし、六一年綱領下で何十年もの間、一貫して日米安保条約の即時廃棄を掲げてきた共産党の歴史と伝統の重さをふまえると、党の役員でもない私のようなものが軽々しく口にするべきではないと自分を戒めていたのです。

 

 そこを志位氏が敢然と突破したのです。びっくりもしましたし、党内のハレーションも相当なものだろうから大丈夫かなと心配もしましたが、野党連合政権を本気でめざす志位氏の決断には心からの拍手を送りました(ハレーションは志位氏にではなく、その後、志位氏に続いて安保条約発動にかじを切った私に寄せられたのは、あまりにも予想外でしたが)。(続)