2004年に開催された第23回党大会以来、党大会は一貫して1月開催です。他党と異なり、1週間ほどかける会議であるため、国会開会中はなかなか開けません。そこで、1月末に開会する通常国会の前というのが、ほぼ慣例になっているのが現状です。

 

 ということは、来年1月、第29回党大会が予告されていますが、予告通りに招集されるとみていいでしょう。秋の総選挙もウワサされていますが、その場合も10月が投票日になるでしょうから、党大会を延期するようなことにはならない。

 

 そのため、私の除名を撤回を求める党大会への再審査請求書は、10月中には提出することになろうかと思います。それで数日前から書き始めました。四章に別れていて、一章を書き終わったところですが、1万字になっているので、合計4万字でしょうか。いや、これは再審査請求書の第Ⅰ部でして、第Ⅱ部も10万字あるので、読み応えのあるものになるでしょう。

 

 この間、党大会での再審査の実例について、読者に情報提供を求めていました。愛知の宮地健一氏の1977年10月に開催された14大会の事例については、私が調べたことも含めてすでに紹介しました。

 

 この点に関連し、同じ14大会の議事を掲載した「前衛」臨時増刊号(1977年12月号)の「大会日誌」欄に、以下のような記述があることを教えてもらいました。

 

 「第六日(十月二十二日)」 「ひくつづき大会は、戎谷春松常任幹部会委員から上訴処理についての報告をうけ、これを承認しました」(355ページ)。

 

 それ以上詳しい記述はないようです。「上訴」って何でしょうね。でも、「再審査」であれば規約上の用語なので、別の言葉は使わないような気もします。分かりませんけれど。

 

 それとは別に、長野県委員長だった小山袈裟雄氏が、1972年、県委員会総会で除名処分になったことを教えてもらいました。新日和見主義問題の真っ最中で、川上徹氏との関係を疑われたようです。

 

 ただし、小山袈裟雄氏は、最後は名誉幹部会員となりましたから、どこかで除名が撤回されたのでしょうね。再審査を求めて認められたのか、除名を強行した党の側が間違いを認めて復党をさせたのか、そのあたりの真相は分かりません。

 

 ただ、これまでの私の理解では、50年問題での除名は無茶苦茶だったので、復党が認められた人はそれなりにいたという認識でした。のちに国会議員となった津川武一氏とかです。でも、それ以外の事例は、ほとんどないだろうなと思っていました。

 

 しかし、小山袈裟雄氏は復党できたのですね。50年問題以外にもそういう実例があったことは、私にとっては希望を抱かせるものでした。ありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。