昨日の記事に関して、KM生さんからコメントを頂いた。こういう内容であった。

 

「除名処分に対して党大会で再審査を求めた例としては、宮地健一氏が77年14大会に『愛知県委員会からされた除名処分に対する再審査請求』があります(むろん却下されましたが)。詳細は『宮地健一氏のブログ』を御参照下さい。」

 

 KM生さんは、私には足許にも及ばないほど共産党の歴史と現実に詳しい方であり、どこからこれほどのエネルギーが生まれるのか、いつかお聞きしたいものだと思っている。『日本共産党の百年』などは、こういう方との議論を通じてつくられれば、もっと意味のあるものになるのではなかろうか。

 

 宮地氏のことはそれなりに私も知っていて、膨大な情報にあふれるブログも、肯定的に見るか否定的に見るかは別にして、執筆などに際して参考にすることがある。愛知県で党の専従をしていたが政治的な理由で解雇され、それを不服として裁判で争ったが、ウィキペディアによると、「名古屋地裁は(共産党と宮地氏の)双方の主張を退ける決定をした」とされる。宮地氏は、生活苦から裁判の継続をあきらめたそうだ。

 

 KM生さんが指摘するように、もし宮地さんがみずからの除名の再審査を党大会に求めていれば、私の再審査は「100年を超える共産党の歴史のなかで初めて」とは言えなくなる。くわえて、別の方からは、宮地さんの党大会への訴えは、議論もされないまま30秒で却下されたとも聞いていた。もしそうならば、私の再審査も、前例踏襲で同じようになる可能性がある。

 

 それでウィキを再読してみた。その記述によると、KM生さんが指摘する14回大会の出来事は、除名の再審査ではなく専従の解雇に関して生じたものだと思われる。

 

「1977年10月の日本共産党第14回大会に報復的専従解任不当の『上訴書』を提出したが、宮本顕治の指令を受けた上田耕一郎が党大会議長団を代表して、同月22日、無審査・無討論、30秒で却下した。」

 

 では、いつどうやって除名されたのか。宮地氏の著作『検証:大須事件の全貌』(お茶の水書房)についたプロフィールによると、党大会での却下を受け、「1977年、名古屋地裁に専従解任不当の民事裁判を提訴した。憲法の裁判請求権を行使したことを唯一の直接理由として除名」されたとある。除名の決定は11月30日、通告は12月1日らしい。

 

 ということで、除名されたのは14回大会(10月)のあとなので、大会で除名の再審査は行いようがないということである。これが除名の再審査だったら、「無審査・無討論、30秒で却下」が前例となるので、私にとっては困った事態になるところであった。

 

 いずれにせよ、勉強になりました。KM生さん、ありがとうございました。

 

 ところで、この問題、14回大会決定集に掲載されているのでしょうか。そういう出来事はなかったことになっているのでしょうか。知っている方がおられたら、教えてください。

 

 また、他にも、大会決定集には載っていないけれど、じつは除名の再審査はやられているのだという情報があったらお知らせください。再審査を闘い抜く上で大事な情報になると思いますので。

 

 なお、このブログ記事のテーマと関係ないので裁判における双方の主張の内容は紹介していないが、それから半世紀近く経って共産党と専従者の関係は様変わりしており、解雇を規制する法的な枠組みも飛躍的に発展している。裁判で共産党は、いま流行の「結社の自由」を盾に取り、「党内問題だから司法審査になじまない」として却下を求めたのだが、除名問題は別にして、今後予想される専従者の解雇問題で同じ理屈は通じないだろう(その主理屈も裁判所から退けられた)。退けられた反省もなく同じ理屈を持ち出せば、解雇規制法の発展のために闘ってきた共産党の自己否定になる。(続)