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 さて、連載の続き。

 

 前回、革命の非平和的発展を展望する必要性がなくなったことを、新綱領の「権力」規定をふまえて書いた。しかし、それ以上に大切なのは、アメリカ帝国主義の捉え方が変わったことだ。

 

 まず、新綱領以前に変化があった。1994年の第20回大会で、将来にわたって憲法9条を堅持し、軍事力を保持しないことを明確にしたことだ。

 

 これがなぜ革命論と関わるかというと、この連載の6回目で書いたように、61年綱領のもとでは、民主連合政府をつくろうとすると、アメリカ帝国主義が暴力的に襲いかかってくると考えていたからだ。だから、憲法を改正してでも、アメリカの侵略と戦う実力組織が必要だと考えていた。

 

 しかし、94年に9条堅持の確固とした方針を決め、侵略された際の軍事力保有という方針を拒否したということは、もはやアメリカが日本を侵略する危険はなくなったと判断したからだろう。アメリカにそういう危険があると党指導部が考えているなら、侵略されたら屈服するという態度でない限り、アメリカの侵略とはどう戦うのかを示さなければならない。それを示さず軍事力を保有しないと宣言したいうことは、アメリカの侵略の危険はなくなり、革命の非平和的方発展を想定する必要がなくなったということである。

 

 アメリカが変わるならば、「対米従属」の自衛隊によるクーデターを心配する必要もなくなる。2000年を前後して、不破氏は自衛隊活用論へと大きくかじを切るが、党指導部内には自衛隊の「暴力装置」としての本質を危惧する声が少なくなかった。それを説得する不破氏の口癖は、「自衛隊は技術集団だから大丈夫だ」というものだった。そもそも、自衛隊が共産党に暴力で襲いかかってくると考えていたら、とうてい自衛隊活用論など唱えられない。もちろん、自衛隊については改革すべきところはたくさんあるが、民主連合政府が行政の諸機構を政府の方針に従わせる一環として対処できるというのが、不破氏の考えだったのだと思う。

 

 さらに04年綱領である。この新綱領は、まだアメリカを「帝国主義」と位置づけてはいる。2003年のイラク戦争の直後だったから、さすがにその規定を外すことはできなかっただろう。

 

 しかし、新綱領の真骨頂は、そのアメリカが帝国主義の本質を放棄する可能性を指摘したことである。以下のように書かれている。

 

「世界の構造変化のもとで、アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われていることは、注目すべきである」

 

 それまで共産党にとって、帝国主義とは話し合いや外交の対象ではなかった。暴力と戦争で襲いかかってくるのだから、ただただ打倒の対象だったのだ。それを綱領というもっとも大事な文書で位置づけを変えたのである。

 

 こうして、革命が進めば、「敵」が暴力と戦争に訴えてくるという考え方は、新綱領から一掃されることになる。それならば、その種の想定から生まれた「敵の出方」論は、「この表現は2004年の綱領改定後は使わないことにしています」というに止まらず、党の考え方からなくなったことを明確にすべきではなかろうか。明日で最後である。(続)