YouTubeチャンネルで「赤旗」のネット化について語っています。ここで紹介するのが遅れちゃいましたが、どうぞご覧ください。共産党が財政危機を乗り越えつつ、ネット版「赤旗」で国民と結びつける道を示したつもりです。その際、是非チャンネル登録をお願いします。9日は午後2時から、私の記者会見を同時中継します。

 

 

 

 公安調査庁は、共産党を破防法の調査対象団体としている理由について、「『いわゆる敵の出方論』を採用し,暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています」とする。その根拠としてあげるのは、不破氏の次の文献である(同庁HP)。

 

「『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた,米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり,解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」(不破哲三著「日本社会党の綱領的路線の問題点」)

 

 他方、共産党の側は、志位氏が「この表現は2004年の綱領改定後は使わないことにしています」と述べているが、表現は使わないというのは、中身は変わらないということである。そしてその中身については、次のように説明している(『新・綱領教室』)。

 

「①選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。②民主的政権ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものである。」

 

 ①は昨日述べたテーマであり、国民多数の支持を得て民主連合政府ができたのに、いまだ権力を有する独占資本やアメリカなどが、さまざまな手段で暴力的に政府をつぶそうとする場合である。「秩序維持のために必要な合法的措置」とは、一義的には警察力で対処しようとするものだが、相手が61年綱領にあった「対米従属の自衛隊」の場合は、警察力では間に合わないので、昨日書いたように、憲法を改正して新しい軍事力を保有するしかなかった。

 

 他方、②の場合、政権を持っていないのだから、当然のこととして警察力や軍事力を使うことにはならない。そこで、「広範な国民世論を結集してこれを許さない」ということになるわけである。

 

 だからこれは、共産党が主張しているように、平和革命が基本だが暴力革命になる場合もあるというものではない。共産党の側は、一貫して平和革命の路線を進むのだが、「敵」が暴力に訴える場合があることは否定できないので、その場合、すでに政権が樹立されていたら、警察力などで秩序維持の合法的措置をとるし、政権についていない場合は、世論に頼るということである。暴力で襲いかかるのは「敵」の側であって、共産党が使うのは合法的・平和的手段だという点では一貫している。

 

 したがって、公安調査庁がなお「日本共産党のいわゆる『敵の出方論』に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識している」というのは、間違った認識である。しかし同時に、共産党が「敵の出方」論をいう表現を使わなくなったのは、この言葉をどう説明しても、国民のなかに生まれる疑念を払拭できないからである。

 

 「敵の出方」論は、共産党は平和革命に徹しても、戦争や暴力という事態が生まれる可能性があるという考え方である(責任は共産党にないけれど)。政権をとる以前に共産党を排除するような暴力的な動きが生まれることも共産党は否定していないが、その場合に「広範な国民世論を結集してこれを許さない」というのは、実際にどういうことをするのだろうかという疑問も生まれる。共産党は大学紛争の際、極左暴力集団と闘うにあたって、「暴力に対しては正当防衛の実力行使は許される」と「赤旗」主張で述べたが、政党の組織的な実力行使とはどんなものか、なかなかイメージが湧いてこない。

 

 常識的に言うと、もし共産党に暴力で襲いかかるような勢力があれば、共産党はその取り締まりを日本政府・警察庁に要請すればいいのである。なぜそうしないのかと言えば、だって襲いかかるのはアメリカ帝国主義であり、「対米従属の自衛隊」であって、政府や警察に頼れないだろうというものだろう。

 

 これは、61年綱領からは、必然的に導き出される考え方である。政権をとっても権力は独占資本とアメリカ帝国主義が握っているという認識だからだ。

 

 だが、私に言わせれば、2004年の新綱領の神髄は、「敵の出方」論が生まれる余地をなくしたことにあるのだ。この用語を使わないという弥縫策をとらないで済むような、大胆な転換を行ったことなのだ。そのことを次回に書く。(続)