革命とは権力を移すことだ、ある勢力から別の勢力に移すことだ、それが共産党が革命政党を自負する所以である──。

 

 そう言われても、一般の人は、なかなかイメージができないと思う。「権力が移る」って、いったいどういうことなのか、さっぱり分からない。

 

 共産党だって、他党と同じように、議会で多数を握って内閣をつくり、選挙で公約したことを実現するわけだ。で、「大もとから変革する」場合だけは、「権力を移す」ことが不可欠となるというのが、綱領の規定である。国権の最高機関である国会で多数になり、内閣を組織して行政権を掌握しただけでは、三権のうち二権をも獲得するのに、権力の移行=革命にはならないのである。

 

 この点で、61年綱領は、かなりレーニン的な革命論に立っていた。以下、二箇所を引用するが、政府を樹立しても、それは革命の政府にはならないという見地、実際の権力は三権とは別のところにあるという見地を、より明確に打ち出していたのである。

 

「民族民主統一戦線のうえにたつ政府をつくることは、アメリカ帝国主義と日本反動勢力のあらゆる妨害に抗しての闘争である。この政府が革命の政府となるかどうかは、それをささえる民族民主統一戦線の力の成長の程度にかかっている。」

 

「党と労働者階級の指導的役割が十分に発揮されて、アメリカ帝国主義と日本独占資本に反対する強大な民族民主統一戦線が発展し、反民族的・反人民的勢力を敗北させるならば、そのうえにたつ民族民主統一戦線政府は革命の政府となり、わが国の独占貿本を中心とする売国的反動支配をたおし、わが国からアメリカ帝国主義をおいはらって、主権を回復し人民の手に権力をにぎることができる。」

 

 政府をつくっても「この政府が革命の政府となるかどうかは」分からない。「革命の政府」になるには、「民族民主統一戦線の力の成長」が必要である。これが前者の引用文である。

 

 では、「民族民主統一戦線」は何をするのか。「独占貿本を中心とする売国的反動支配をたおし、わが国からアメリカ帝国主義をおいはら」うのである。これが後者の引用である。

 

 そうやってようやく、「人民の手に権力をにぎることができる」。説明してきたように、権力を移すことが「革命」だという見地に立てば、国会で多数を得て政府をつくるだけではだめで、独占資本を倒し、アメリカ帝国主義を追い払って、ようやく民主主義革命は達成されるということである。61年綱領は、独占資本とアメリカ帝国主義を「二つの敵」と位置づけていたが、まさに二つの敵を打倒するのが「権力の移行」に不可欠であり、それを成し遂げることが共産党が「革命政党」であることの真骨頂だったのである。

 

 では、「二つの敵」を打倒するために何をするのか。これは61年綱領に書いているわけではないが、当時、党員に対する教育などでいろいろ叩き込まれた。(続)