共産党が8中総で久しぶりに「革命政党」という自己規定を持ち出したことで、いろんな議論が起きている。一般社会では、「おお、暴力革命の復活か」というニュアンスで受け止められかねないし、実際、この10回ほどの連載で述べていくように、「敵の出方」論とも大いに関係のある言い方である。

 

 他方、党の地方議員からだって、「率直に言って違和感がある」との声も寄せられているそうだ。とはいえ、共産党は綱領で「民主主義革命」の実現をうたっている。だから、革命政党ではないということになると、それも違和感がある。

 

 なお、党員なら誰でも知っているが、以前の綱領では民主主義革命の次は「社会主義革命」と言われていたが、現在の綱領には「社会主義革命」の言葉はなく(過去の方針としては書かれているが)、民主主義革命の次にめざすのは「社会主義的変革」ということになっている。当面の変革は資本主義に枠内で行うのに「革命」と呼ぶ一方、資本主義とは異なる社会構成体に移行することは革命ではなく「変革」というのである。

 

 その上、今回の8中総である。「赤旗」の党活動欄を見ると、いまの党の苦境を乗り越えるためには「革命政党」への自覚が不可欠なことが強調されている。全党員に求められるということになると、「革命政党」とは何かという根本問題を考える時期に来ている。

 

 8中総が共産党を「革命政党」だと位置づけたのは、綱領で掲げている民主主義革命というものが、現在の社会体制を「大もとから変革する」からだとされている。志位氏の報告はこうだ。

 

「わが党がかくも攻撃されるのは、端的に言えば、日本共産党が革命政党であるからです。つまり現在の体制を大もとから変革する綱領を持ち、不屈に奮闘する党だからであります。」

 

 いま各地で、党幹部は同じ言葉を繰り返している。委員長が言えばみんな信じるからで、共産党らしい現象だが、疑問を持つことはないのだろうか。

 

 ただちに浮かんでくる疑問は、先ほど述べたことと関わる。確かに、日米安保条約の廃棄などは日本社会を「大もとから変革する」ことだろう。他党は掲げていないわけで、共産党だけが「革命政党」を誇れる根拠になるかもしれない。

 

 しかしでは、社会主義への移行を「革命」ではなく「変革」だと位置づけるのは、それとどういう関係になるのだろうか。社会主義の実現は社会を「大もとから変革する」ことではないということになるのだろうか。

 

 そんなことはないだろう。マルクス主義の理論では、原始共同体→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義というように社会構成体が変わっていくことが基本である。資本主義の枠内での変革がたとえ「革命的」な変革であったとしても、資本主義から社会主義への移行よりも決定的だという理論には、これまでお目にかかったことはない。

 

 共産党の綱領だって、「社会主義・共産主義の日本では……人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、『国民が主人公』という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる」としている。「大もとから変革する」のである。だから、「大もとから変革する」ことだけを「革命」とするのでは、社会主義を「革命」と位置づけない綱領規定は説明不能に陥るだろう。(続)