さて、ようやくこの主題に戻る。そんな大したことが言えるわけではないけれど。

 

 まず結論から言うと、「赤旗」日刊紙は、調査報道に徹するネット版情報紙として生まれ変わるべきだ。日刊の新聞の慣例にしばれてて、その日に起こったことを報道するという制約から自由になり(だから、毎日の刊行という形式はとらず、随時アップする)、記者は時間をかけて取材し、まとまった記事を発信するようにするのだ。

 

 これまでも「赤旗」報道が評価されてきたのは、その分野である。独自の視点をもって取材するのだから、他紙では報道できないことが可能になる場合がある。記者全員がその気持ちで取材にあたれば、質も量も現在の比ではないところを狙える。

 

 なお、独自の視点をもっている(綱領の視点ということになるが)ということは、ある仮説を立てて取材し、その仮説にそった報道をするということになりがちである。それが当たった場合は、他紙ではできないと評価されるが、逆に独り善がりになることもある。そうならないよう、取材でつかんだ事実と独自の視点との間に矛盾があるのなら、事実を優先させるべきである。それがジャーナリズムの使命であり、綱領の視点を豊かにすることにもつながる。

 

 こういうことを提案すると、日々起こっていることを報道しないでいいのかと言われるだろう。政治から経済、国際、文化、スポーツなどの全分野にわたり、次の日に報道することは時間と労力をとられることがだ、そこで「赤旗」が評価されることはない。そこは割り切るべきである。例えば岸田首相の襲撃事件などにしてもその場からネットで出回っているので、翌日の「赤旗」に載っても、もはや「新聞(新しく聞く)」本来の価値は有さない。労力の無駄遣いだ。

 

 いや、「赤旗」なりの視点での報道があるはずだという反論は出てくると思う。そういうものはあるし、どうしても翌日に報道することが不可欠なら、やってもいい。でも、独自の視点というのも、時間をかけて調査することで、より深まることはあるのだから、必ず翌日に記事化することに力点をおくべきではない。

 

 スポーツや文化なども同じ視点に立つことが可能だ。プロ野球の毎日の結果を「赤旗」で報道する必要はない。そういうものではなくて、スポーツのすばらしさを報道するために、例えば一人の選手につきっきりになって取材し、それをまとめて報道すれば、一般紙ではないものが得られるだろう。国民運動面も、この団体がこういう取り組みをしましたなどの記事は、団体ごとに通信員を置いて、その人に記事をアップする権限だけ与えておけばいい(他の記事の編集はできない)。記者やるべきことは、運動を広げる上で大事な経験などをたんねんに取材して、誰もが納得できる記事を書くことである。さすがにテレビラジオ欄の記者は残せないかもしれないが、文化欄と統合して芸能分野を担うことは可能だろう。校閲部も不可欠。

 

 300人の記者を50人程度にまで減らすが、ネット専門の情報紙で、これだけ多くの自前の取材記者を抱えているところはない(一般紙は別)。他の情報紙と比べて無茶苦茶優位である。(続)