すでにお知らせしていますが、明日の午後2時から、JR神戸駅近くのアステップで、「松竹伸幸さんとの対話集会 なぜそれほど共産党を愛しているのか」が開催されます。どうぞ、ご都合のいい方はご参加下さい。朝日新聞の兵庫県版にも告知情報が載ったそうで(毎日や神戸も?)、共産党流の言い方をすると、支配勢力の反共キャンペーンに射落とされたメディアと元党員による反共包囲網がどんどん完成に近づきつつあるみたいですよ(笑)。

────────────────────

 ところで、志位氏が6日の記者会見で、立憲民主党との政権共闘に関して発言したことが話題になっている。「上から目線」だとか「泉健太をつるし上げ」とか。昨日の「赤旗」によると、2面に「『協力の意思』問われる」という見出しをたてて、次のような内容が載っている。

 

「志位氏は、共通政策、対等平等・相互尊重の選挙協力、政権協力の土台として、「協力の意思」があるか否かが問題だと述べ、「この意思が確認されて初めて、政策や選挙協力の話し合いになる」と語りました。」

 

 ここで使われている用語は、どれもも見覚えのあるものばかりだ。どこで見たかというと、70年代に民主連合政府の樹立をめざしていた共産党が、社会党に働きかけて政権をともにする合意を得ようと努力していた時期、何回も共産党の側から発せられた言葉である。「共通政策」も、「対等平等・相互尊重の選挙協力」も、「政権協力の土台としての『協力の意思』」もそうだ。

 

 1つ欠けているとすると、宮本顕治氏がよく口にしたのは、社会党との間で政権合意できるなら、共産党の側は「大胆な譲歩を行う」というものであった。民主連合政府の樹立で合意し、政策協定を結べば、「対等平等・相互尊重の選挙協力」といっても、実際に立候補する人は社会党中心にして、共産党はそれまで全区立候補していたが、ほとんど立候補は取り下げるという表明でもあった。

 

 まあ、ただこれも、志位氏がまだ口にしていないとは言え、実際に協力関係が構築されれば、候補者を大幅に取り下げるのは共産党側だということは明確である。違いは、最初からそれを表明するか、まずは対立候補を立てて相手を威嚇するのを優先するかという程度で、だから違いというほどのものではない。

 

 進歩がないと思うのは、1970年代に民主連合政府をめざす過程で使われた言葉が、半世紀後の2020年代になって、野党の国民連合政府構想のなかでそのまま語られていることだ。構想する政権がめざしている目標もまったく異なるし、政権の性格もまったく異なるのに(現在の党指導部の古くさい綱領理解からすればという限定付きである。私の綱領理解からは別の結論が出て来る)、それで通用すると思っているところである。そもそも違う条件、目標にそってアプローチも変えなければならないのに、宮本氏がやったのと同じことをしていればいいと考えるところが、工夫がない。政権への真剣味がないから、こんなことになるのである。

 

 思い出してほしいのは、70年代の似たような努力が、結局は「社公合意」を生みだしてしまったことである。このまま志位路線で進んでいくと、立憲民主党も同じような経路をたどるのではないだろうか。(続)