ところで、なぜ一昨日の記事には文藝春秋の話は出てこないのに、「文藝春秋社は「権力側・支配勢力」か」というタイトルを付けたのか。種明かしをしよう。

 

 その前に1つ。市田氏や伊藤氏は、文藝春秋を「権力」「支配勢力」「敵」だと認定しているようだが、なぜなんだろう。

 

 もしかして、党幹部が本を出している出版社かどうかで、「敵」「味方」を分けているのだろうか。確かに、文藝春秋社の本のラインナップを見ると、党幹部の著作は見当たらない。

 

 しかし、そんなことは基準にならないだろう。だって例えば不破哲三氏は、『不破哲三 時代の証言』という本を中央公論新社から出しているが、そこって読売新聞社が全額出資している出版社である。だからといって、共産党的には読売を味方認定しているということになるのだろうか。

 

 いや、あり得るかも。だって、党首公選を「社説」で提唱したのは朝日と毎日、産経で、読売は社の論にしなかった。もしかして、不破さんがナベツネさんといまでも連絡があって、読売は「味方」で、朝日や毎日は反共メディア認定というのは、共産党的には大いにあり得ることなのだろう(笑)。

 

 不破氏は新潮社からも本を出している(『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』)。新潮社と言えば、その後、筆坂秀世氏の本も出しているけれど、共産党の基準で言うと仲間から権力側に寝返ったのか。あるいは、不破氏ももともと「権力」に射落とされていた!? そうか、不破氏の綱領、規約解釈が腑に落ちるのは、私と同類だからなのか、私は不破分派の一味なのだ、なんちゃったりして。

 

 ところで最後の種明かしだが、じつは、一昨日引用した宮本顕治氏の宗教問題の論文は、月刊誌「文藝春秋」の75年10月号に掲載されたものなのである。市田氏や伊藤氏の言明とは違って、宮本時代は文藝春秋を「権力」「支配勢力」「敵」だと認定していなかったのだ。一方、翌年1月から77年にかけて、立花隆氏が「文藝春秋」に「日本共産党の研究」を連載した時は、宮本氏をはじめ共産党は大騒ぎして批判した。要するに、活用できるときは活用する、批判する時は批判する。メディアというのはそういうものだ。

 

 それなのに現在の党指導部は、メディアや人々を「革命」側か「反革命」側か、「権力」側か「反権力」側かにわけて、それらの評価を決めている。その結果、支配勢力の側に分類されたメディアとか、その記事を書いた記者とかは、みんなそれ以前は党へのかすかな期待を持っていたのに、それを打ち砕かれてしまった。「共闘」とか「統一戦線」とかを口にする人が、どんどんそれを壊している。その愚かさを知るべきだろう。

 

 なお確かに現在、党幹部で文藝春秋で本を出したり、雑誌に寄稿している人は見かけない。それは、宮本時代と異なって、一般の読者が読みたいというものを書けるほどの知的な水準を保っている幹部がいなくなったからにすぎない。

 

 共産党に必要なのは、自分と同じ意見でない人を誰彼構わず「支配勢力・権力」とバッシングすることではない。そんなヒマがあるなら(この結果、文藝春秋の読者を共産党は敵に回してしまった)、猛反省して知的な鍛錬をくり返すことである。(了)