「赤旗」をどうすべきかの連載は、読者のご意見を伺いながら考えていくものであり、長引きそうなので、中休みが必要である。8中総の中心概念である「権力側・支配勢力」について思うところを書いておく。

 

 共産党がまだ理論活動を旺盛にやっていた70年代、刺激を受けることが多かった。その内の1つが宗教問題である。 

 

 「宗教はアヘンである」というマルクスの言葉が一人歩きし、共産党が権力をとれば宗教は弾圧される、社会主義国を見れば分かるだろうという宣伝が広がっていた。それに対して共産党は、クリスチャンを副委員長に付けたり、創価学会と協定を結んだり、いろんな努力をしていたのである。

 

 理論的政策的にも、党としても12大会7中総で「宗教についての日本共産党の見解と態度」を決議し(75.12.23)、見解を明らかにしていった。それらの中で私がもっとも感服したのは、宮本顕治委員長(当時)の論文「歴史の転換点にたって──科学的社会主義と宗教の接点」であった。

 

 これは、共創協定(共産党と創価学会との協定)のいきさつから始まって、マルクス主義と宗教の全般にわたって論じたものだが、とくに印象に残っているのは、最後に「共産主義社会での宗教」を考察しているところである。まだ実現していない社会なので「理論的予見の試み」とされているが、それまでマルクス主義の理論では、共産主義社会になれば人間の苦悩もなくなるので宗教も死滅するだろうといわれてきたことをとりあげ、次のように異なる考え方を提示したのである。

 

「同時に、いわゆる『社会悪』が排除され、そこから苦悩が生じない段階にあっても、人間社会であるかぎり、悦びだけでなく、病気、恋愛、結婚、家庭、自分の資質や才能についての希望と現実、人間の寿命その他、あれこれの人間関係での人間の苦しみや悩みがなくなるものでないこともあきらかである。その点では、そういう人間生命の限界や個々人の能力の問題にかんしても、また人間諸関係についての人間の苦悩がつづくかぎり、その中での人間精神の充実をはかる精神的な活動が、人類の遺産の一つとしての宗教として継続される場合、何人もそれを禁止しないだけでなく、自由な人間活動の一分野として保障されるだろう。したがって、いかなる体制においても、すなわち、共産主義社会の高度の段階でも、布教の自由をふくめ信仰の自由は侵害されることはない。」

 

 共産党はこういうことまで考えているのだとびっっくりした。当時、宮本氏に尊敬の念を抱いたことを覚えている。

 

 なお、これらは『日本共産党と宗教問題』(新日本文庫)に収録されている。私の手元にあるのは250円時代のものだが、いまアマゾンを見たら、中古が608円からありました。

 

 ところで、これだけなら、今回のブログのタイトルとかみ合わない。なぜ「文藝春秋社は「権力側・支配勢力」か」というタイトルを付けたのか。それは明日に。(続)