昨日紹介したように、内閣不信任案というのは、かつてから会期末の恒例行事ではあった。しかし同時に、同時に政権の危機に直結するような面もあったのである。そこが様変わりしているのに、同じような位置づけで考えていないか。

 

 様変わりした理由は、きわめてはっきりしている。最後の不信任案可決の翌年(1994年)、小選挙区制が成立したためである。

 

 それまでの中選挙区制のもとでは、自民党は複数の派閥から候補が出て、二人、三人と当選してきた。公認されない場合も、当選したら、どこかの派閥に属し、派閥の領袖を総理大臣にするために頑張っていた。

 

 そういう状況下で野党が不信任案を提出されると、総裁派閥でない派閥にとっては、自分の派閥の領袖を首相にする絶好の機会になるので、野党提出のものでも欠席したり、賛成したりすることがあったのだ。だから、不信任案の提出はものすごい緊張感を呼び起こしたのである。

 

 そこが小選挙区制で根本的に変わった。派閥がなくなったわけではないが、選挙区で公認されるのは、ただ一人だけである。そんな状況で不信任案に賛成したりして選挙になってしまえば、総裁派閥が仕切る党本部の公認を得られず、立候補ができなくなる。立候補してもいいが、選挙資金などは期待できない。

 

 だから、以前と異なり、自民党議員が不信任案に賛成したり、棄権することはなくなった。党中央の言う通りに行動するという点で、自民党の共産党化が進行したのである。

 

 その結果、不信任案は、ただの会期末の恒例行事に成り下がってしまう。それが1994年以来、もう30年も続いているので、何の緊張感ももたらさない。

 

 今回、維新の会の馬場代表は、記者会見でこう述べたそうだ。

 

「夏になれば盆踊りをするように、前例や慣例として不信任決議案を出すことは、逆に国会から緊張感を奪っていく。どうせ否決されることに時間を費やしても何の生産性もなく、できればやめてほしいというのが本音だ」

 

 これって、維新だからどうせ与党に近づきたいんだろうと批判する人もいるだろうが、それでは済ませられない真実が含まれていると思う。

 

 ではどうすればいいのか。(続)