2015年に野党共闘の努力が開始された直後、これは98年インタビューをはじめ、過去の共産党の理論的な想定の範囲内の問題だと感じていた。ただ、笑われるかもしれないが、私は共産党の党首になったくらいのつもりでその努力を眺めていたのだが、時間が経つにつれて、新しい理論的な枠組みが必要になっていると思うようになった。

 

 何かというと、それまでは、安保条約廃棄の民主連合政府が基本的にめざすところであって、それ以外の政権はその途上で問題になってくるものだった。付属的と言ったら言いすぎかもしれないが、共産党としても「よりましな政権」とか「暫定政権」とか、消極的な用語で表現していた政権だったのである。

 

 たとえば「選挙管理内閣」。何かの政策的課題を達成するための内閣ではなく、あくまで総選挙を実施することを目的に組織される内閣だが、最初は1960年の安保闘争の最中に共産党が提起した。「岸(信介)一派をのぞく全議会勢力」による「選挙管理内閣」を提唱したもので、安保闘争で岸内閣をそれなりに追い詰めたので、自民党内でも動揺があるだろうからということで提起したものである。当時、共産党は衆議院で2議席しかなかったのだから(参議院は3議席)、その志の大きさというか、常識外れには驚くばかりのものだった。73年に金脈問題で田中角栄内閣が窮地に陥ったときも、同様の構想を打ち出したことがある。

 

 98年インタビューで示された「政策共闘を通じて政権共闘へ」の萌芽みたいな提唱もあった。76年にロッキード事件で政界が揺れたとき、小選挙区制粉砕、ロッキード疑獄の徹底究明、当面の国民生活擁護という三つの緊急課題で「よりまし政権」が提起された。消費税導入への反対世論の高まりを背景に、89年参議院選挙では、消費税廃止、企業献金禁止、コメの輸入自由化阻止の課題での暫定政権が提起された。

 

 こういう経験があるものだから、2015年に野党連合政権を志位氏が提起したときも、それらの枠内の話だと思っていた。政策課題としては当時、野党がみんなで反対した新安保法制が成立して局面だったので、それを廃止するという政策的な一致点があった。その廃止を共通政策として掲げる「よりましな政権」という位置づけになるのだろうと感じていたのである。

 

 しかし、過去、共産党がいろいろ政権構想を提唱しても、他党からはまったく相手にされず、実践を伴わなかったのだが、今回は実践が開始された。そして、実践してみると、98年インタビューをはじめ、過去の理論的な想定では通用しない問題が浮上してくるのであった。(続)