98年インタビューの大事なところは、政党間の共闘について、3つに類型化したことだった。同じ「野党共闘」の言葉で表現されるものであっても、ドライな共闘から中身の濃い共闘まで、さまざまなパターンがあり得ることを明確にしたのである。

 

 これは現在の日本政治を見ていても大事なことだと感じる。例えば、いまの国会を見ても、立憲と維新が国会で共闘すると「次の選挙では統一候補を立てるのか」と憶測が流れ、逆に共闘を解消すると「これで協力関係は終わり」との見方が生まれるなど、表面の動きを見て共闘関係にあるか対立関係にあるかを判断しがちである。しかし、政党間の共闘関係というのは、百かゼロかで割り切れるようなものではなく、もっと複雑なものだ。政権共闘をしない相手なら冷たくするとか、共闘の相手なら何でも無理を聞くというものではない。

 

 98年インタビューの分類によると、もっともドライな共闘は「国会共闘」とでも呼ぶべきものである。インタビューの年の前半に行われた国会で、「橋本内閣の不信任案を民主党、自由党、日本共産党の三党で共同提案し、新党平和・改革が賛成したこと」について、「日本共産党をふくむ野党共闘の前進に一つの前向きの特徴がありました」とある。

 

 80年に「社公合意」があって共産党が政権共闘の相手を失って以降、長い期間にわたって「共産党を除く」国会運営が続いていた。そういう期間が長かったので、不信任案の上程に共産党が加わることを「前向き」と言ったのだが、普通なら、ここで例示されている内閣不信任案は、政権との距離がどの程度かにかかわらず、あるいは野党間に信頼関係があるかないかとは関係なく、どんな野党であれ一致して賛成するものである。あるいは政府予算案についても、通常、すべての野党が一致して反対する。

 

 実際、細川護熙内閣の時は自民党が野党に転落したわけだが、共産党は細川内閣打倒のためならば、宿敵である自民党との共闘も辞さなかった。国会共闘とはそういう性格のものなのである。私は当時、衆議院議員(国会対策委員長)だった松本善明氏の秘書をしており、国会質問などは別の秘書が担い、私は常に国会対策委員会の部屋にいて、細川内閣を倒すための自民党との協議の内容などを松本氏から聞き、それを活字にする仕事などをしていたから、そのあたりの事情はよく分かる。

 

 国会共闘にはそのドライさが大事である。政権協議とか総選挙に向けた候補者調整とか政策協議とかができないと、ただただ不信感が募り、国会共闘まで積極的でなくなることがあるけれど、それは大人の態度ではない。政党らしく振る舞わなければならない。(続)