要するに、朝鮮戦争は北朝鮮の侵略だと正確な立場に立っても、共産党の綱領において、帝国主義と社会主義の対立という世界把握の構図は変わらなかったのだ。ただ、社会主義の現実は否定的なものであり、「(社会主義が進歩の)原動力となっている」という記述を放置しては事実と異なるので、85年の一部改定で「なりうる」という理論的な想定の問題にしたのである。この理由について、大会に対する改正理由の報告では、次のように説明されている。

 

「帝国主義の侵略性が独占資本主義の本質に根ざすのとはちがい、覇権主義は社会主義の体制の必然的な産物ではなく、科学的社会主義の原則的立場からの逸脱の所産であることは明白である。」

 

 この時点では、まだ社会主義国の未来に希望をもっていたわけである。だから、世界構造の認識も変わりようがなかった。ただし、帝国主義の認識に関する別のアプローチが、この綱領改定では行われている。

 

 一つは、前回書いたように、三大革命勢力と言われた勢力に、「反核、平和運動」が加わったこと。もう一つは、これら革命勢力が帝国主義を滅ぼすのが「世界史の発展法則」という記述は残っているのに、反帝国際統一戦線(正確に言うと「帝国主義に反対する国際統一戦線」)の記述がなくなり、国際的な重要課題として「核戦争阻止、核兵器廃絶」と「民族自決権擁護」の二つを提起したことである。その意味は、本格的には夏に出す本で書きたい。

 

 こうして、世界認識の根本的な転換は、2004年の綱領全面改定を待たねばならなかった。その前、1994年の一部改定の際、報告を行った不破氏は、なぜ全章にかかわる改定なのに「一部改定」と呼ぶのかについて、次のようにのべていた。

 

「党の綱領を全面的に改定するということは、たとえば、綱領の規定した当面の必要な任務が達成されて、運動がつぎの段階を迎えたときにおこなわれるものです。ロシアの党が、一九一七年の革命の後で綱領の改定にとりくんだのは、その典型的な例であります。また、ある場合には、それまでの綱領路線が間違っているとして路線転換をするとき、これは社会党などがよくやることですが、そういうときにも全面改定がおこなわれるものです。

 わが党の今回の綱領の改定は、任務が終わったという前者の改定でもありませんし、後者の路線転換のためのものでもありません。文章的にはたしかに全体にわたっていますが、三十数年の歴史の試練にてらして、綱領の基本路線の正確さを確認したうえで、その内容を現代的に充実発展させたというのが、基本的な性格ですから、これを正確に「一部改定」とよんでいるわけであります。」

 

 94年の改定を「一部」に止めたのは、「綱領の基本路線の正確さを確認したうえで」の「充実発展」だったからだ――。ということは、不破氏が2004年の綱領改定を「全面改定」と読んだのは、党の任務の終了にともなう改定ではない以上、「路線転換」をめざしたからということにならざるを得ない。実際、それまでの部分部分を変えるやり方では、61年綱領の骨格を変えることはできなかったのである。(続)