共産党が早い時期から北朝鮮を批判的に見ていて、実際に批判していたのに、それを外には見せなかった。その最大の事例が1968年の宮本顕治氏を団長とする北朝鮮訪問であった。

 

 この訪問は、連載の第3回目でも書いたが、1968年1月、北朝鮮の武装部隊が韓国の大統領府である青瓦台を襲撃しようとしたのを受け、そういう盲動に対して警告し、止めさせることを目的としていた。その直前から北朝鮮がほのめかすようなことを言っていたので、注意して見ていたということである。そして、共産党がそういう行動をとったので、北朝鮮の側は、共産党と親しくすることはやめ、社会党や公明党に接近していき、社公両党もそれに応える時代が開始されるのである。

 

 そういうことを、ちゃんと当時から共産党が明らかにしてくれていれば、共産党に対する信頼はもっと高まったと思う。しかし、68年の訪問がそういうものだったことを党が明らかにするのは、90年代になってからで不破氏の「赤旗」連載によるものであった。

 

 この連載の内容は直後に、『ソ連・中国・北朝鮮―三つの覇権主義――たたかいの記録』(新日本出版社、1992年)という不破氏の本にまとめられる。しかしその後、中国共産党との関係が正常化されたことをきっかけに、共産党は「覇権主義との闘い」を強調するのではなく、他国の政権党とも外交対話ができることを「売り」として重視するようになる。その中で、中国や北朝鮮が抱える国内、国外の重大問題は変わらないのに、それを不問に付して仲良くしているように見えるという批判も寄せられていた。

 

 そこで私は、論文「北朝鮮問題を攻勢的にとらえるために」を共産党の『前衛』誌に寄稿したのだ(2004年7月号)。ところが、不破氏から呼ばれて、「いま北朝鮮に対して覇権主義という性格付けをしていないので、こんご注意するように」と警告されたのである。

 

 一方、2017年1月、92年に出された不破氏の本が、『新版』として出版される。本のタイトルには、92年と同じく「三つの覇権主義」という言葉が使われているので、北朝鮮も再び「覇権主義」という位置づけになったのであろう。

 

 こうやって、北朝鮮をどう見るかという問題で、共産党の態度は揺れてきた。共産党に批判が向きかねない問題が起これば毅然として批判する。しかし批判が強すぎて相手から相手にされないと困ると思えば批判を弱める。

 

 そういう揺れを生み出す根底に、朝鮮戦争はアメリカの侵略だという61年綱領の世界観があったというのが、私の推測である。(続)