61年綱領に朝鮮戦争をアメリカの侵略戦争だとあったこと、さらにそれが85年まで続いたことは、共産党にとって大きな意味を持つ。50年に開始された朝鮮戦争と共産党のいわゆる50年問題が密接不可分の関係にあるからだ。

 

 不破哲三氏は10年ほど前、ソ連崩壊後に出てきた一連の資料に目を通し、いくつかの文章を書いている。そのうちの一つが朝鮮戦争と50年問題の関係であった。不破氏は、「赤旗」で行った鼎談(『スターリン秘史 巨悪の成立と展開』第6巻を語る(下)」)の「スターリン、朝鮮戦争の真相を語る」の項でこの問題を論じている。

 

 まず、朝鮮戦争は、スターリン主導で開始されたもので、その目的はベルリン封鎖などヨーロッパで開始された米ソの争いに加え、「第二戦線」をアジアで開くことでアメリカの力を削ぐことにあった。それを成功させるためには、朝鮮戦争が開始されたら米軍の出撃基地となる日本で、米軍に対するかく乱活動を起こす必要があった。ということで、当時、ソ連は以下のような行動をとる。

 

1950年1月7日 コミンフォルムが日本の革命が平和的に行われると考えるのは誤りだとの論評を発表。

同1月13日 中国の国連代表権が認められないことを理由に、ソ連が安保理のボイコットを開始。

同1月30日 スターリンが金日成に対して南進の準備を開始する許可を与える。

同6月25日 北朝鮮軍が国境を越えて侵略を開始。

同8月27日、スターリンが「なぜ安保理をボイコットしたのか」というチェコ大統領の質問に対して、「米国政府に……さらなる愚行を行う機会を提供」するためのもの、「米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らか」と回答。

 

 不破氏は言う。

「「50年問題」は、党の分裂という大きな苦難をもたらしたものですが、その経緯も、この流れのなかで見る必要があります。

「この(コミンフォルム)論評を……日本の党中央が統一した見解を持てず受け入れないのを見て、中国共産党が受け入れを勧告する論説を機関紙で発表しました。この論説には武装闘争の呼びかけが含まれていました。

「あの時期に資本主義国の共産党でスターリンから武装闘争を押しつけられたのは日本共産党だけです。日本は朝鮮戦争の米軍の後方基地だから、そこで攪乱(かくらん)活動をやれば戦争に有利に働くという判断でやられた作戦でした。」

 

 当時の共産党員は、目の前で起きている朝鮮戦争に際して、「アメリカの侵略反対」「反戦平和」の旗を掲げ、武装闘争を闘った。それは共産党が日本で米軍のかく乱活動を行えば、朝鮮戦争を有利に戦えるというスターリンの判断があったからだ。

 

 この鼎談で不破氏が語っているのは、一言で言えばそういうことである。朝鮮戦争の評価を誤ったというだけなら、明日から論じるように、当時、他の政党、知識人にも同様の傾向があったから、共産党だけが責めを負うべきものではない。しかし、朝鮮戦争の評価は、綱領論争でみずからが否定した暴力革命路線と密接に結びついていたのである。

 

 それだけの誤りを、朝鮮戦争が休戦になってから7年あとの綱領で誇り高く記述し、85年まで維持していた(綱領上、完全に誤りがなくなったのは94年)。61年綱領を誇らしく語る人々は、それをどう捉えているのだろうか。(続)