夏の刊行をめざして書いている本に関連し、いくつかのテーマで論点を深める連載の第2回目。1回目は党規約に関連したことだが、今回からは綱領に関係してくる問題となる。その最初が朝鮮戦争に関連する話である。

 

 まず1961年の旧綱領が朝鮮戦争をどう描いていたかを紹介したい。以下のようなものだった。

「中国革命の偉大な勝利、世界と日本の平和と民主主義と社会主義の勢力の前進に直面して、アメリカ帝国主義は朝鮮にたいする侵略戦争をおこないながら、日本をかれらの世界支配の重要拠点としてかためるみちをすすんだ。そしてアメリカ帝国主義は、かれらの目的を達するために、あたらしい手段をとった。1951年、アメリカ帝国主義と日本の売国的独占資本の共謀によって、ソ連邦や中華人民共和国などをのぞきサンフランシスコ「平和」条約がむすばれ、同時に日米「安全保障」条約が締結された。」

 

 そう、朝鮮戦争は「アメリカによる侵略戦争」という認識だったのである。1950年の開戦時にそう認識していたというだけでなく、10年後の綱領制定時にも同じだったのだ。

 

 この記述は、1985年の17回大会まで続く。この大会で綱領のこの部分は、「アメリカ帝国主義は朝鮮戦争を機会に」となって、アメリカの侵略という認識は改められた。しかし、この頃の共産党の朝鮮戦争への評価は、北と南の内戦にアメリカが介入して国際的な戦争になったというもので、なおアメリカの責任を強調するものであった。これが北朝鮮の侵略と改められるのは3年後のことだが、このあたりの事情はあとで書くことになろう。

 

 旧綱領の記述で他に注意を促したいことが二つある。一つは、旧綱領の世界観というのは、アメリカをはじめ帝国主義が侵略を行う勢力であって、ソ連、中国などの社会主義国は平和勢力であるというものだったということだ。もう一つは、日米安保条約が結ばれた目的も、朝鮮戦争に代表されるアメリカの侵略戦争政策という目的を達成するためだという認識だったということだ。

 

 私もこの綱領を承認して共産党に入ったわけで、似たような認識を共有していた。それでも当時の共産党が輝いて見えたのには三つの理由があると感じる。一つは、目の前で行われていたベトナム戦争が、この綱領規定の正しさを証明していたと感じられたこと。二つは、現実政治における共産党は、綱領の規定と違って、ソ連、中国、北朝鮮の間違った行動に対してきびしい批判を展開していたこと。三つは、戦争する帝国主義とその被害を受ける社会主義の対決という誤った構図に立っていたとはいえ、じゃあその対決のなかで社会主義の側につくという行動をとっていたのではなく、安保条約を廃棄してどちらの側にもつかない日本をつくると言っていたように、あくまで中立を志向していたからだろう。

 

 とはいえ、この綱領の世界観自体は、当時も現実政治ではそれに反する行動を共産党がとっていたことから分かるように、現実とは大きな乖離があった。だからこそ全面改正して路線転換を図ることが求められたわけである。ところが、いまだにこの綱領の世界観が大事だと思っている人がいて、「松竹パンフ」に名前を連ねている人たちがその典型である。(続)