『シン・日本共産党宣言』を1月に刊行したあと、「赤旗」や党幹部から私に対して激しい批判が寄せられた。先日の志位さんの記者会見によると、私などによる党への提言を「攻撃」という用語で表現するのは、根拠のない批判は「攻撃」であって、根拠のあるものについてだけ批判というのだということだった。その基準を援用すると、この間の私への批判はまさに「攻撃」と呼べるものだけれど、私はそんなはしたない言葉は使わないで、「批判」と表現させてもらう。

 

 最初の一か月くらいは、日々の対応で精一杯であり、連日の「赤旗」を埋め尽くす批判のすべての対応する余裕はなかった。その後、統一地方選挙が開始され、私も一時的休戦を宣言したし、「赤旗」も戸惑いながらもトーンを弱めることになる。

 

 その間、いわゆる「松竹パンフ」が刊行されたので、東京出張の折、美和書店で購入し、一時休戦の間に反論をまとめておこうと準備を開始した。しかし、パンフを読みながら、どんどん意欲を喪失していく自分がいた。

 

 だって、こんな感情的で低水準の議論にいちいち付き合っていたら、キーボードを打つ自分の手がかゆくなってきそうである。時間の無駄というか、マイナスにしかならないと感じた。

 

 要するに、これらの批判の何が問題かというと、2000年に全面改定された規約、同じく2004年に全面改定された綱領のことをまったく理解していないことである。それを理解しないまま、私に対して綱領と規約に違反しているという批判をなげかけているのである。

 

 何というか、それ以前の61年綱領、61年規約の水準に止まっている。例えば61年綱領にしても、2004年になってはじめて改正されたわけではなく、何回も改正があった。その中には、1994年の改正にように、全章にわたる詳細な改定を行った場合もあった。その際、なぜこれだけの改正をするのに全面改正と呼ばないのかが問題になり、路線転換をする場合しか全面改定しないのだと結論づけたのである(大会への不破報告)。

 

 ということは、2004年の全面改正は、まさに党の路線を転換することがめざされたというこだ。共産党の場合、路線を変えると言ってしまうと、それまでの路線は間違っていたのかという気分が党内に生まれがちなので、表現は穏やかなものだが、路線転換だったことは明らかである。

 

 それなのに、それが党や「赤旗」の幹部にすら理解されていない。みんな61年綱領の世界に浸りきっているようだ。そんな「赤旗」の論文に付き合うのでなく、この二つの全面改定が何を目指したのかを論じることのほうが、よっぽど有意義だと感じた次第である。

 

 すでに3分の1は書き終わり、ゴールデンウィーク中に3分の2まで進め、5月中に脱稿予定である。ということで、ゴールデンウィーク中はそれに集中するので、ブログはお休みする。ゴールデンウィーク明けに、新著の問題意識就いて、もう少し書きたい。