さて、とりあえず最後。「敵基地攻撃」をどう考えるかについて書いておく。まず結論を要約すればこうなるだろう。

 

 「敵の基地を攻撃しないかぎり日本の国土と国民を守れない場合、そのための能力を保有することは専守防衛の範囲に入るから、実際に保有するかどうかは別にして、憲法上保有できないという立場はとらない。しかし、岸田内閣が進めている敵基地攻撃能力の保有とは、日本の国土と国民を守るというものではなく、台湾有事に日本を関与させることを主要な動機として進められているものであって、現在のゆがんだ日米同盟関係のもとでは断固として反対する」

 

 似たようなことは、8年前に刊行した『憲法九条の軍事戦略』でも書いている。その際は、憲法上否定しないことは述べつつ、実際の政策としては保有しないことで、そこを相手国との外交を進める上での優位性に変えるようなことを提案していた。

 

 そこから事態は変化している。集団的自衛権の一部を容認する安保法制が成立し、当時も日本有事でもないのに自衛隊が米艦防護のために武力行使をするようになるのだと言われていたが、実際には自衛隊の武力行使が敵基地に対して行われることが想定され、そのための能力が保有されようとしている。アメリカは信頼できるというなら、日本は盾、アメリカは矛という役割分担を変える理由はない。

 

 私は、中国が台湾に武力侵攻するようなことがあれば、断固として台湾の人々の側に立つべきだと考えており、支援を惜しまない。しかし、日本を戦場にしないことは、他の何と比べても最優先事項であって、日本の敵基地攻撃論がその危険を生み出すものであるかぎり、断固として反対せざるを得ない。

 

 一方、日本が「核抑止抜きの専守防衛」政策をとることでアメリカと合意できるほど(あるいは将来において日米安保の廃棄でも合意できるほど)、対米関係における日本の主体性が高まり、日本が名実ともに専守防衛の範囲で自衛隊を運用できるようになれば、おのずからアプローチは異なってくる可能性がある。

 

 日本が保有する武器を専守防衛の範囲で使うか、侵略のために使うかは、本質的には武器の種類(射程の長さなど)の問題ではない。政権の政策に属する問題である。

 

 小火器であっても侵略の際は威力を発揮するし、長射程の武器であっても、専守防衛のために使うことは可能である。例えば、本日も長射程の対艦誘導弾の開発が新聞ネタになっているが、それを沖縄・南西諸島に配備すれば中国を標的にしたものとなることが明白であるが(沖縄も再び戦場にされると不安になる)、本州の基地に配備すれば、尖閣争奪戦が予想される場合の沖縄防衛が主目的だという名目が立つことになる。将来、そういう問題が起きることは想定しておく必要がある。

 

 ただ一方で、日米同盟が廃棄できるほどの情勢になれば、そんな能力は不要だという情勢でもあるように思える。いろんな可能性を想定して、安全保障政策は考えておくことが求められよう。(了)