外交と防衛を日本はどう組み合わせるのか。アメリカのような大国は、強大な軍事力を保有して相手を威嚇することと、ちゃんと外交をすることと、その両者があまり矛盾しない。北朝鮮を見ても、あれだけ強大な軍事力で威嚇されていることを嫌っているけれども、アメリカと戦争をしたらたいへんなことになると分かっているから、アメリカに振り向いてもらいたい。核ミサイルを開発するのも、アメリカを交渉の場に引きずりだしたいためというところがある。

 

 しかし、日本の場合、そういうわけにはいかない。どんなに軍事力を強化したところで、その分野で中国からどんどん引き離されていることは、誰が見ても明白な事実だ。だから、侵略されたら跳ね返すだけの防衛力を整備することと、侵略されないような外交努力を行うことと、両者をどう組み合わせるかが、日本にとってもっとも重要となる。

 

 それは、防衛力という点では、やはり「専守防衛」ということになると思う。敵国の立場に立ってみると、侵略しても相手は簡単に屈することはないと思わせるだけの防衛力を持ち、常に訓練を怠らないところを見れば、やはり侵略に踏み切ることは容易ではなかろう。

 

 同時に、専守防衛に徹することは、侵略の口実を与えない外交の基礎にもなる。だって、専守防衛のもっとも大事なところは、相手が侵略をしかけてこないかぎり、日本が防衛力を発動することもないというもとである。もちろん、そういう政策をとっていても、なんだかんだと理由をつけて侵略する国は出て来る。だから戦後80年余りの間に、200回ほどの戦争が起きているわけだ。かつてアメリカに侵略されたベトナムのように、何の落ち度もないのに侵略された国も少なくない。

 

 だけど、専守防衛に徹していれば、たとえ相手が先に手を出してくるようなことになっても、相手こそが侵略者だということになる。それを世界に明らかにできる。

 

 政府が国会で答弁するように、「相手が武力攻撃に着手すれば、こちらの反撃も可能」という程度のものでは、どうしても「どっちもどっち」ということになるのだ。だから、先日紹介した元空将補の林さんが第七航空団(百里基地)の司令であったときにパイロットを指導していたように、相手に先に撃たれる(そしてベストは脱出する)ことさえ求められる。

 

 そうなれば、現在、ウクライナに共感が集まり、ロシアに批判が集中していることに見られるように、世界の支援を受けて侵略者と戦うことが可能になるわけだ。明日は、「核抑止抜き」という問題について。(続)