ということで、これまでいろいろ論じたことを材料にして、最後、私なりの「避戦の安全保障論」のまとめを書いていく。

 

 「核抑止抜きの専守防衛」。ご存じのように、これが私なりの結論である。それがこれまで書いてきたこととどんな関係にあるのかを述べるのが、連載最後の目的である。

 

 まず、日本を侵略から守ろうとすれば、防衛政策と外交政策を適切に組み立てることが不可欠である。抑止力の立場からしても、侵略を跳ね返す軍事力はもちろん必要だとされるが、同時に相手に「侵略したらマズい」と思わせるだけのコミュニケーション能力も必要なのだから、政治の世界では防衛と外交の両方の政策が大事なのである。

 

 どこかで書いたけれども、ウクライナの事態も、それを証明するものとなったと思う。

 

 2014年にロシアがクリミア半島を侵略して手に入れたとき、ウクライナ側は現在のような本格的な反撃を行わなかったし、国際社会も事実上見捨てるような対応を行った。それがロシアを増長させ、次の侵略も成功すると思わせたことは間違いない。ウクライナ戦争を「ウクライナの外交の失敗」だという人がいるけれど、「防衛の失敗」だったことを見逃してはいけない。ましてや侵略に備えて軍事力を整備したり訓練したりすることを「戦争の準備」だとして拒否してはいけない。

 

 一方、外交の大切さも論を俟たない。ロシアのような国と国境を接する国にとって、ロシアとの外交関係をどうするかは難しい問題である。ウクライナ戦争が実際に開始されてようやく実感したことだが、ロシアにとっては同じ隣接する国でも、ポーランドのNATO加盟は許せたが、ウクライナの加盟は許せなかったということである。そういう違いを生みだした歴史的、社会的、文化的な背景も含めて、外交のあり方を探っていくのが、どの国にも求められるのであろう。防衛と同様、外交にも、「この国が成功しているから、わが国でも成功する」という約束されたテーゼは存在しない。

 

 「核抑止抜きの専守防衛」は、そのあたりを自分なりに考えて出した結論である。(続)