抽象的な話をつづけていても退屈だろうから、もっと具体的な話に入っていきたい。中国は抑止戦略の相手なのだろうか。あるいは、中国に対して抑止は有効なのだろうか。

 

 抑止力とは、アメリカが中国に壊滅的な打撃を与える軍事力を誇り、いざという時にはそれを使うことをアメリカに伝え、そうなれば困った事態になることを中国が理解することによって成り立つ。何回も言うけれど、相手が軍事行動に踏み切るのは止めようと理解しないと、抑止力は意味をなさない。

 

 中国が台湾の武力解放に踏み切れば、アメリカはそれを阻止する軍事作戦を敢行し、武力解放を失敗させる。それにとどまらず、中国に壊滅的な打撃を与える。そういう軍事態勢をとり、それを中国に理解させるようにする。抑止を成功させるには、アメリカには最低限、これだけのことが必要である。

 

 しかしまず、アメリカがそれだけのことをやっても、中国は「理解」しないだろう。中国にとっての台湾問題というのは、アメリカがそれだけのことをやっても、あきらめがつく問題ではないからだ。そこに根本的な問題がある。

 

 尖閣を奪いに来るという程度の話では、その代わりに壊滅的な打撃を食らうことを考えると、「やっぱり止めようか」という思考を辿ることは十分に考えられることだ。けれども台湾問題はそういうものとは異なる。中国にとっての「核心的利益」なのだ。

 

 「核心的利益」ということは、「死活的利益」以上のもので、たとえ死んでも守らなければならない利益のことである。そういう場合、どんなに軍事力を強化して対応しようとしても、それは何の役にも立たない。逆に、軍事力を強化すればするほど、相手も対抗して軍事力を強め、実際に戦争が起こる可能性が高まるし、双方の被害は甚大なものになっていく。

 

 日本で台湾問題をめぐって抑止力が語られる時、共通するニュアンスは、抑止力を強化することで中国も手を出せなくなるというものだ。しかしそれは、台湾問題をめぐっては、ただの願望に過ぎない。この場合、コミュニケーションは成り立たず、抑止は破綻するのである。

 

 台湾問題を抑止力で何とかしようという人がやらなければならないのは、抑止が破綻して日本が戦場になる危険が高いのだから、それを覚悟しておこうということでなければならないのだ。それなのに、有権者から嫌われたくないためか、覚悟を迫ることもない。抑止力に反対する側も、多くは「外交があれば戦争にはならない」と語る。その結果、いつまで経っても、戦争を起こさない防衛努力とは何かが、日本では議論になっていかない状態が続いている。(続)